1992年夏の一日、浜大津で珍客を捉えた後は(→ こちら)、彼を追って錦織車庫へ行ってみることにしました。勿論走行ルートなど知る由もなく、あわよくば入庫後の姿を拝もうという皮算用、しかし車庫を覗いてみると丁度良い按配に昼寝中でした。どうやら任務は終わったようです。
改めて間近で観察。
「私鉄電車のアルバム」で初めて彼らの存在を知り、あまりのキワモノ振りに涎を垂らしながらページを繰った記憶がありますが、大半は70年代後半までに淘汰されてしまいました。122は戦前派の最後の生き残りです。
122は1934年に有蓋車2002として竣工、その後戦後の復旧・改造を経て大津線にやってきた当線の再古参です。
京阪も含め、かつて関西各社は珍妙な事業用車の宝庫でした。「私鉄電車のアルバム」で初めて彼らの存在を知り、あまりのキワモノ振りに涎を垂らしながらページを繰った記憶がありますが、大半は70年代後半までに淘汰されてしまいました。122は戦前派の最後の生き残りです。
▲もちろん阪急にも棲息 上:十三 下:正雀 いずれも1960頃
さてあっさりと目的を果たしてしまいましたが、今度は庫内に屯ろする260形らも見て回ります。
260形はタマゴ形木造車200形の車体を載せ替えて誕生、機器類は徐々に更新されるも古めかしいブリル・ボールドウィン台車はそのままでした。石山坂本線専用の350形もまた木造車800形からの転身でした。
▲いずれも錦織車庫 1992-9
続いては10年振りの東山三条へ向かいます。
▲近江神宮前 1992-9
辺りは地下化に向け動き出しているせいかそこいら中工事現場だらけで、木造家屋が雑然と並んでいた街並も心なしか小綺麗になったように見えます。
▲いずれも京津三条-東山三条 1981-3
80形は冷房化されて健在。
屋根上がやたら膨らんで見え違和感は拭えませんが、それでもなお魅力的なデンシャです。
▲上:京津三条-東山三条 下:京津東山三条 いずれも1992-9
棒のように細い安全地帯に変わらぬ乗降風景。
街は小綺麗になっても、往年のインタアーバンの匂いはまだ残っていました。
▲いずれも東山三条 1992-9