2019年7月13日

山峡のホイッスル その3

▲EF1626 土樽-越後中里 1980-6

最大量数を誇ったEF15、その改造機のEF16はその任務に加え、大人しいスタイルで地味な存在でした。戦前形のデンシャが闊歩していた当時からすれば振り向かれることも少なく、雑誌の特集と言えば1977年の「鉄道ファン」誌くらいでしょうか。
▲EF1623 石打 1980-6

さて、夜間だけでフィルム2本分のコマを稼ぎました。
コンビニ1軒ない当時の駅前では腹を拵えることもままならず、若かったとは言え、何も食わずに平然と撮影行を続けます。昼間の優等列車が走りだすまでの寸刻を惜しむかのように、夜が明けても貨物列車が次々にやって来ました。
ここで漸く小休止、同業者らと26号機を間近で観察する余裕も出てきました。改めて見ると「朴訥な山男」という例えがピッタリです。
 
EF64-1000番台登場の序章として時折やって来た0番台の活躍は3カ月余りでした。
▲いずれも石打 1980-6
 
石打を堪能した後はまた越後中里へ。
ガスのお蔭で露出は上がりませんが、ゆっくりと近付いてくる長大編成の貨物には充分でした。
▲いずれも土樽-越後中里 1980-6
 
こちらはお馴染みのお立ち台から。
▲いずれも土樽-越後中里 1980-6
 
上越線を象徴する特急「とき」で締めとしました。
当時嫌と言うほどやって来た115系や165系が1枚も写っておらず、今更ながらこの姿勢に後悔してしまいます。
▲土樽-越後中里 1980-6

峠の主として長く君臨したEF16も、この後間もなく登場するEF64-1000番台によってお役御免になりました。西のEF59と共に旧型補機の双璧でしたが、その一角が崩れました。
▲石打 1980-6

2019年7月6日

山峡のホイッスル その2

▲EF1628+EF15 越後中里-岩原スキー場前 1980-6

さて、夜のEF16オンステージが開始しました。
冬季以外は僅かな地元客が乗降するだけの静かな石打駅ですが、夜は全く別の空気を感じることができました。
▲EF1629+EF58 急行「鳥海」 石打 1980-6

序盤戦、まずはEF15152の貨物がやって来ました。
露出の見当がつかず、適当にスローシャッターを切ります。
全てマニュアル操作、機械シャッターのオンボロ愛機ですから、電池の消耗を気にする必要もありません。
許可を貰って陣取ったのは構内外れ、上り線の線路際。
上り列車しか狙えませんが、欲を掻いて上下双方を狙わなくても充分にフィルムを消費するほどの本数がやって来ました。ただ到着から補機連結・発車まで10分弱しかなく、アングルを替えるヒマがありません。
▲いずれも石打 1980-6
 
特急「北陸」が到着。
この頃の優等列車牽引機は長岡機関区のEF58でした。
それぞれの機関士が汽笛で合図し合い、静かにEF16が繋がります。
こちらは三脚を抱えて右往左往ですが、同業者らと自由に線路内に立ち入ることができ、現在ではウソのような鷹揚さでした。
急行「天の川」や「鳥海」などもやってきました。
機関車ばかりに集中し、当時ありふれた10系客車に眼もくれない姿勢には後々後悔する破目になってしまいます。
氷柱切りや大型のタイフォンカバーが厳めしい12号機。
かつて奥羽本線・板谷峠越えで鳴らした頃の名残です。僚機の11号機はこの頃既に休車中で、この後最も早く引退します。
▲いずれも石打 1980-6
 
補機なしの荷物列車はホームから。
寒冷地仕様のゴハチは好きな機関車の一つです。
▲いずれも石打 1980-6
 
補機の任務はEF16に混じって15も出動します。
▲いずれも石打 1980-6
 
淡々と行われる深夜の付け替え作業は昼行特急が疾駆する姿とは別の、しかし最も上越線らしい表情に見えました。辺りに人家は殆どなく、闇の中で汽笛だけが静寂を破りました。
・・・しつこくまだ続きます。
▲石打 1980-6

2019年6月29日

山峡のホイッスル その1

▲EF1621 石打 1980-6

最近国鉄(JR)ネタをあまりアップしていない管理人、しかし決して枚数が少ない訳ではありません。撮り溜めた40年分のフィルムを改めて見返すと、初期のネガカラーやモノクロは国鉄の方が多かったりします。

ネガカラーのデータ化。
これは最強の難敵で、40年の時を経た変退色は難攻不落と言っても良いでしょう。画像ソフトをあれこれ駆使するも、全面に侵食した黄変など「完全お手上げ状態」も少なくありません。
▲「完全お手上げ」の見本のような変色 栗橋-古河 1975-10
 
・・・という訳で今回はそんな中から1980年初夏の上越線です。
丁度モノクロ一本鎗に移行する頃で、ネガを使った最晩年の頃でした。

115系各停で清水トンネルを抜けて先ずは越後中里で下車、狙いは引退が囁かれ始めた名補機・EF16です。真夏のような日差しが照り付ける中、線路端を歩いていると早速EF16+15の貨物がやって来ました。
▲いずれも土樽-越後中里 1980-6

新幹線開業前の上越線はまさに「特急街道」で、181系「とき」を始めバラエティ豊かでした。
▲いずれも土樽-越後中里 1980-6

機関車のネグラは石打。
開業時から機関区が置かれ、水上と共にカマの付け替えが行われる主要駅です。
広い構内を持ち、70年代末期には引退直後の70系が大挙して疎開したり、新幹線開業後には余剰となった181系が留置されたりしました。
▲いずれも石打 1980-6
 
この日は越後中里周辺を軸に撮り回ることにしますが、昼行優等列車が多いせいか貨物の本数は左程多くありません。 
 
貨物補機はEF16の独断場の感ありの一方で、時折EF15+15もやって来ます。本務機は主役のEF15に混じって新任のEF64も顔を見せますが、これは間もなくデビューする1000番代への布石で、訓練運転も兼ねていました。
本日のサプライズ、EF58の牽くお座敷列車。
▲いずれも土樽-越後中里 1980-6
 
あわよくばと土樽まで追い掛けてみると、まだ停車中です。かれこれ1時間、こうした至ってノンビリな旅も最近は見掛けなくなりました。
▲土樽 1980-6

辺りが暗くなる頃、石打駅へ舞い戻って来ました。
昼の部はいわば序章で、夕闇と共に主目的の夜間撮影へ突入です。狙いはもちろんこちら、EF16解結の長時間停車でした。
▲いずれも石打 1980-6

闇を衝いて次々にやって来る貨物列車に加え、特急「北陸」や急行「鳥海」「能登」など多彩なメンバーによって、人気のない駅が華やかな舞台に変わりました。
・・・次回に続きます。
▲サプライズその2は荷電4重連でした 土樽-越後中里 1980-6

2019年6月21日

民家的駅舎めぐり その4(終)

▲新潟交通モハ16 東関屋 1990-9
 
さて、早朝から開始した新潟交通駅巡りも終盤戦。

こちらは中ノ口川土手沿いの停留所、吉江です。かつてはこの吉江を始め、板井・曲など小さな停留所にも委託駅長がいて出改札もしていましたが、一体どんな駅風景が展開されていたのでしょうか。
▲いずれも吉江 1990-9
 
木場は昼間の列車交換が行われる主要駅ながらこちらも委託駅で、窓口は平日午前のみの営業になっていました。
▲いずれも木場 1990-9
 
駅舎の影が大分長くなってきて、そろそろタイムアップです。
▲越後大野 1990-9
 
▲いずれも焼鮒 1990-9
 
さて、最後はネグラの東関屋です。
晩年はバスとの連携を図るべく大改修、新潟駅前へのアクセス改善を目指しましたが、廃線まで乗客が上向くことはありませんでした。
小田急車体で唯一の電動車、モハ16のルーツは伊那電でした。
既に旧車状態で、廃止の日まで復活しないまま終焉を迎えることになります。
貨物廃止後は殆ど出番のなかったモワ51。
▲いずれも東関屋 1990-9
 
数回の訪問で大方の駅を回ってしまったし、電車は日車標準型で刺激は少ないし、これで最後か・・・とこの時は思いましたが、その後も何度か訪れる機会がありました。やはりこれら駅舎群の魅力に依るところが大きいと言えそうです。
▲焼鮒 1990-9
 
▲切符のバラエティも当線の魅力です