2018年12月11日

京福電鉄永平寺線 その3・炎暑の山里

▲京福電鉄モハ251 京善-市野々 1995-8

さて、午前中を北陸鉄道浅野川線で粘った後は福井へ向かいます。
気温は35℃超、文字通り茹だるようですが、次は京福電車に乗り込んで東古市へ。

この日の標的、永平寺線はかつて旧東急の281形や鋼体化車241形の2連が定番でしたが、この頃はHゴムだらけになったモハ251・252が交代で倹しく走るだけになっていました。
▲東古市 1995-8

まずは東古市でのスナップ。
好ましい佇まいのこの駅は以前から撮りたかったシーンながら、通過するばかりでした。本日の永平寺線当番はモハ251です。
▲いずれも東古市 1995-8
 
越前電気鉄道時代からの駅舎。
駅名は永平寺→永平寺口→東古市→現在の永平寺口(2代)と変遷。丁度建築から100年目の2014年、新駅舎に役目を譲り引退しました。
付近の踏切で陣取り、何か面白い点景は撮れないか・・・としばらく粘ってみました。
▲いずれも東古市 1995-8
 
次は京善まで乗車、汗だくになりながら市野々方向へ歩きます。
咽返るような草いきれの中、モハ251がやってきました。
▲京善-市野々 1995-8
 
市野々を出た電車は永平寺に向けて一気に坂を上っていきます。
▲いずれも市野々-永平寺 1995-8
 
この時はフェーン現象のせいもあってか、凄まじい暑さ。
同じ電車が行ったり来たりにも飽き始め、そそそろ店仕舞いです。
▲いずれも市野々 1995-8
 
酷暑の中を一日中撮り回ったせいか、グッタリしながら薄暮の田原町で下車。明日の福井鉄道を思い描きながら、大通りをのらりくらりと歩いて行きました。
▲市野々-永平寺 1995-8

2018年12月4日

北陸鉄道浅野川線 その3・内灘にて

▲北陸鉄道モハ5101 三ツ屋 1995-8 

さて、続いて三ツ屋駅の反対側へ。
「引き」がなく殺風景ですが、住宅が建て込んでいる沿線ではここで妥協するしかありません。

管理人的には最も好きなモハ3551は、3000系列の仲間で最も遅く誕生したグループ。近代的なスタイルでしたが、井の頭線からの8000系転入によって他の仲間と共に淘汰の対象になりました。
こちらも3000系列のモハ3011。同じ仲間でも新製時期によって随分と顔が違います。
スノープラウが厳しいモハ3563は、元河南線モハ1800形で最後まで残った1両でした。温泉電軌時代に火災復旧車デハ20形として誕生、その後デハ26→モハ1803→モハ1831→モハ3563と変転し、終焉の地が当線でした。
▲いずれも三ツ屋-大河端 1995-8
 
3連が行ってしまうと、次に向かったのは粟ヶ崎駅。
元有人駅ですが無人化久しいようで、小さい駅舎は荒れ果てていました。駅のすぐ横、撮影ポイントになっている大野川橋梁で狙います。
粟ヶ崎に進入するクハ1001。
▲いずれも蚊爪-粟ヶ崎 1995-8
 
隣の内灘までは大汗を掻きながら歩いていくことにしました。
▲いずれも粟ヶ崎-内灘 1995-8

内灘で一休み。
車庫にはモハ3501らがいますが、何しろ狭い車庫で引きが取れません。3011の発車シーンを捕えて終了、次の目的地・京福永平寺線へ急ぎます。
▲いずれも内灘 1995-8
 
その昔、粟ヶ崎海岸まで線路が伸びていた頃の内灘駅は広く、砂浜のようなバラストの上を2軸車凸凹編成が走り去る姿をしばし妄想しました。
▲浅野川線憧憬の時代
 
▲三ツ屋 1995-8

2018年11月28日

北陸鉄道浅野川線 その2・凸凹編成が行く

▲北陸鉄道モハ3551ほか 三ツ屋-大河端 1995-8

定刻6:24、特急「北陸」が金沢に到着。
高架化なった金沢駅を訪れるのは初めてでしたが、重厚な地上駅が高架になった途端、狭苦しく薄っぺらに見えてくるのは年齢のせいだけではないでしょう。

それは兎も角、取る物も取り敢えず、真っ先に向かったのは北鉄浅野川線ホーム。雑多なデンシャたちの最後の活躍を記録しておくことが目的でした。

▲粟ヶ崎-内灘 1995-8

まず向かったのは三ツ屋駅です。
沿線では数少ない開けた場所で、ここでの最大の狙い目は朝の3連でした。
▲いずれも三ツ屋 1995-8

さて、浅野川沿いの土手で陣取っていると、先ずはクハ1301を先頭にした2連がやって来ました。クハ1301は1951年、モハ5100形としてデビューするも機器換装や車体更新を受け、モハ3763を経て現在の姿になっています。相方は元同僚のモハ5101でした。
続いてモハ3201やクハ1001を先頭にした2連・3連が次々にやってきます。
いずれも1950年代半ばから次々に誕生し、北鉄のイメージを一新した3000系列の一派で、河南線廃止に伴って当線へやって来ました。
▲いずれも三ツ口-三ツ屋
 
垂涎もののデンシャが闊歩していた1970年代以前に比べるべくもないですが、それでも個性豊かなオリジナル車が次々にやってくるのは楽しいものです。
▲いずれも三ツ屋 1995-8

・・・とここで枚数が行ってしまいました。
次回に続きます。
▲蚊爪-粟ヶ崎 1995-8

2018年11月21日

日立電鉄 モハ9

▲日立電鉄モハ10 大橋-川中子 1991-4

日立電鉄モハ9形9・10は、2軸車ばかりの同線にあって画期的な新車でした。
日立製であったため頑丈だったのか、手頃な車体長にワンマン化されたことも幸いし、在来車の中では長命で1997年まで命脈を保ちました。

日立が電装品から車体までを新造した例ではごく初期のものですが、1943年製ながら全体的に古めかしく、デッドストック品も流用したのではないかと言われています。
▲こちらはお馴染みの食パン電車 大橋-川中子 1987-8

さて、1973年の「一覗き」以来何度か訪問してきた日立電鉄線、本日は在来車の引退が囁かれ始めた1991年の記録からです。

先ずは恒例、大甕駅で昼寝中のデンシャを観察。主力のモハ13形のほか、旧小田急・東急・宇部と相変わらずバラエティ豊かですが、その多くは色褪せていました。
▲いずれも大甕 1991-4

沿線は至って平凡ながらいつも陣取るのはこちら、大橋-川中子のコンクリート橋。
本日の単行当番はモハ10です。早期にワンマン化されたことと手頃な大きさから、同期生のモハ9と共に、日中の単行運用に重宝されていました。

単行運用のもう一両は、元相模鉄道の電気式DC・食パン形のモハ14。沿線の田圃にも水が張られ始めました。
▲いずれも大橋-川中子 1991-4

モハ10が常北太田駅で一休み中。
製造当初は両運転台とも非貫通でしたが、1963年に貫通扉を設置、その後もライト・ドア・窓に小変化を繰り返しながら現在の姿になりました。
▲いずれも常北太田 1991-4

もう1両のモハ9は鮎川にいました。
▲鮎川 1991-4

登場から幾多の改造を経て、晩年はHゴムだらけの顔にウインドシル・ヘッダーの消滅など大分様相が変わりましたが、そこがまたローカル私鉄らしいと言えなくもありません。
▲鮎川 1987-8