2018年8月18日

夏がくれば~急行列車の思い出

▲急行「天の川」 上野 1975-7

毎年夏になると、学生時代に精を出した、上野駅での駅弁立売りのアルバイトを思い出します。
コンビニもなく、長距離離列車が引っ切りなしに発着する当時の上野では、駅弁スタンドは必須アイテムでした。

風が通らず蒸し風呂のような13番線、特急「とき」「あさま」に混じって「信州」「妙高」など電車急行も次々に発車する5-8番線、「八甲田」「津軽」など長距離急行の席を確保するべく朝から並ぶ帰省客、浮浪者と思しきオッサン・・・・と、決して美しくはありませんが忘れがたい思い出になっています。
▲上野 1978-9

当然のように展開していた駅風景。
残念ながらバイト時代の記録はありませんが、過去記事でアップした「使い回し画像」も混ぜながら、夜行列車オンリーでこの時代の上野駅を振り返ってみます。

まずは学生時代に愛用していた長距離急行です。
19:10発の「八甲田」を皮切りに、「津軽」「十和田」「越前」「能登」「鳥海」「天の川」「おが」等々が続々と発車・・・1982年に東北・上越新幹線が開通するまで、上野は客レのオンパレードでした。

12・14系化されたものもありますが、まだ多くが旧型客車で運転されていたのも魅力の一つ。シートの硬さや非冷房であることも当時としては当たり前で、気にも留めませんでした。
▲いずれも上野 1枚目:1978-4 2-4枚目:1978-9 5枚目:1976-3

23:58発、客車急行の殿は「妙高5号」が務めます。
▲いずれも上野 1978-9

一方の特急も、最大7往復を誇った「ゆうづる」を始め、「はくつる」「あけぼの」「北陸」「北星」とこれまた多彩でした。急行と違い、新幹線開通後もほんの一時ながら更に充実し、1984年にはヘッドサインも復活します。
▲いずれも上野 1978-9

唯一20系で残っていた「あけぼの1・3号」は、1980年秋に24系化されました。
▲いずれも上野 上:1979-9 下:1975-7

速達性が何よりも優先され、赤字の根源とばかりに彼らが駆逐された結果、旅の醍醐味は随分と薄れてしまった気がします。独特の雰囲気が漂っていた夜の地上ホームも、今はその片鱗すら残っていません。

尤も、長距離夜行を愛用していた当時は旅情云々を言う余裕はなく、ひたすら忍耐の連続でした。
やはり、こうした感慨は過ぎ去った後にやって来るものなのでしょう。
▲急行「津軽1号」 上野 1975-1

2018年8月11日

近江鉄道・盛夏点景

▲近江鉄道クハ1202 米原 1984-7
 
いつも本ブログをご覧頂き、ありがとうございます。
栃木へ帰省のため、本日よりしばらく更新をお休み致します。
また頂戴したコメントへの返信が遅れるかも知れませんが、併せて宜しくお願い致します。

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夏の昼下がり、米原駅は森閑として駅員さんも所在なさそうでした。
貨物はウヤなのか、彦根の電機たちも昼寝の最中です。
 
▲いずれも彦根 1984-7

2018年8月7日

1982年・能勢電車 その2

▲能勢電鉄615ほか 山下 1982-9

さて、引き続き平野車庫を覗いて回ります。
まずはこちら、阪急宝塚線急行で鳴らした320形。能勢電初の中型車として12両全車が能勢電へ嫁いできました。
続いては阪急920形の縮小コピーのような500形。
台車は320形の川造BWタイプに対し、こちらは51形から引き継いだブリルを履いています。調べてみると、新造当初履いていた台車を610形に譲り、代わりにこれを引き継いだ、とのことでした。
奇妙な電動貨車106が車庫の片隅に押し込められていました。車止めの上にヨッコラショと跨っての撮影です。
 
ダルマになった鋼体化車体が鎮座しています。
▲いずれも平野 1982-9
 
続いては分岐駅の山下へ。
先ほど500形があまりいないな・・・と思っていたら、夕陽を浴びて電留線で待機していました。
この前年に廃線になった、川西能勢口-川西国鉄前で細々と動いていた鋼体化車・51と61もいました。予備車だった61は随分とくたびれた様相です。
▲いずれも山下 1982-9

陽はまだ高いですが、一通り撮ってしまうと暑さにめげたのか、これで引き揚げてオシマイ、何ともあっけない終わり方でした。現在も阪急2000・3100形など往年の名車が活躍中ですが、機を見て訪問と思いつつ未だ実行できないままです。
▲いずれも山下 1982-9

2018年8月2日

1982年・能勢電車 その1

▲能勢電鉄660ほか 平野-一の鳥居 1982-9

代々阪急電車のOBで占められてきた能勢電鉄。
1980年代は魅力的な小型車オンリーの世界でしたが、田舎私鉄偏重だった当時はあまり関心を向けることはなく、訪問はたったの半日でした。

1982年夏休みのこと、「せっかく鉄研メンバーが集まったから、たまには観光でも」と嵐山で集団投宿。しかし慣れないことはするものではなく、宿の雰囲気も何を食べたかも完全に記憶から抜けています。「絵ハガキみたいでつまらん」と思ったのか、嵐山の風景も1枚も撮っていませんでした。
▲いずれも桂 1982-9
 
・・・という訳で投宿した翌日午後、メンバーと別れて川西能勢口から乗り込みます。まずは車庫のある平野へ向かうことにしました。
▲川西能勢口 1982-9
 
平野付近には緑が残り、山下方のカーブや築堤下を流れる塩川と相俟ってなかなかの雰囲気。ここでしばらく陣取ることにしました。
▲いずれも平野-一の鳥居 1982-9

阪急時代の610形は戦後の混乱期、木造車群を淘汰させ大量輸送時代の幕開けに一役買った中型車。1977年に能勢電にやって来た彼ら、三つパンタを振りかざす3M1Tは壮観でしたが、この後83年に3M2Tの5連に変わります。
▲いずれも平野 1982-9
 
結局、610形だけで一巡。
戦前派320・500形らは朝夕ラッシュ時にしか動いていないようで、車庫で会うことにしました。庫では最晩年入線組の616-666編成がお休み中でした。
▲平野 1982-9

・・・とここで枚数がいってしまいました。
次回に続きます。
▲平野-一の鳥居 1982-9

2018年7月27日

夜の関門にて

▲カニ25「彗星」 門司 1980-9

1980年夏のこと、東京駅から九州ワイド周遊券片手に「大垣夜行」に乗車、あちこちで寄道した挙句に九州入りしたのは出発から10日が経ってからでした。本日はその道すがら、関門両駅のスナップからです。

別府鉄道や下津井電鉄を始め、セノハチ・可部線など国鉄線もテンコ盛りだった本州最後の日、宇部・小野田線の旧型国電を初めて訪問です。最後はこれらのカットで締めて、初めての九州入りを果たしました。
▲岩鼻-宇部 1980-8

▲宇部 1980-9

さて、夜の帳が下りた関門両駅の表情が見たくなり、銭湯探しを兼ねてまずは下関で下車。周遊券があれば、構内をウロチョロしても浮浪者のように外に追い出されることはありませんでした。

主要ターミナルでありながら、両駅とも森閑として寝台列車を待つ僅かな乗客以外、ほとんど人気はありませんでした。まずはこちら、普通客レを牽引する関門の主・EF30です。
20系客車や昼の優等列車がなくなってすっかり寂しくなった山陽本線ですが、寝台特急「あかつき」「彗星」「明星」「なは」が健在。本数も多く14系・24系・583系と車種もバラエティ豊かでした。
▲いずれも下関 1980-9

「彗星」の殿を務めるカニ25は50.3改正後に誕生した、カニ22からの改造車。2両の少数世帯で、24系の仲間という変り種でした。
▲いずれも門司 1980-9

「ながさき」は「はやたま」「山陰」とともに僅かに残った夜行の普通客レでした。盗難防止用に括りつけた針金がちょっと痛々しいです。
▲下関 1980-9

古い歴史を持つ両駅、改めて見ると鉄骨や上屋にそそられます。
あと10歩下がってシャッターを押していれば、もっと雰囲気ある画が出来たのに・・・と当時のスナップを見る度に後悔してしまう昨今です。
▲門司 1980-9