2019年9月22日

佐野・栃木・小山

▲EF1215 佐野 1973-6

初めてカメラを手にした時期は正確には覚えていませんが、恐らく小学校低学年、1960年代末頃かと思います。尤も被写体は鉄道ではなく、同級生だったり近所の犬だったり、はたまた夏休みの自由研究だったりな訳ですが、それらは記憶の断片に残るだけでフィルム原版は消失しています。

カメラも無論自分用ではなく、家にあったメーカー不明のやつを勝手に持ち出して自転車のカゴに放り込み、あちこち撮り回り・・・と言っても「一枚ナンボ」の時代、当然ながら被写体の選別には慎重にならざるを得ないのが実情でした。
▲佐野 1973-5
 
手元に残る一番古いフィルムには、同級生や家の犬と共に73年初夏の東武佐野線や両毛線が写っています。しかし傷だらけの上に同級生らと交換でもしたのか、スリーブが無造作に切られて抜けているコマが過半。本日はそんなツギハギだらけのフィルムの中から、マトモに見られる程度のコマをアップしてみます。

EF12が次々に発着し、貨物ホームには台車や荷が溢れていた時代。
電車の方は主役の70系に混じって、時折やって来る快速運用の115・165系が見られました。
眼につくもの全てが珍しく、こんな貨車も撮っています。
▲いずれも佐野 1973-5 
 
貨物線を渡り切ったところにある東武佐野線ホームには、最後の活躍をする73・78系2連の姿も見られました。
▲いずれも佐野 1973-6

こちらは地上時代の栃木駅。
両毛線には貨物ホームがあり、東武日光・宇都宮線には留置線ありと、橋上駅の現在と違って余裕のある構内でした。
▲いずれも栃木 1973-6
 
初めての「遠征」は小山。
子どもらだけの、70系に乗って30分の旅でした。特急列車は全て通過ですが、眼前を猛スピードで疾駆する583系や485系は鮮烈で、眼瞼に焼き付けるべく視界から消えるまで見送りました。
▲いずれも小山 1973-6
 
▲いずれも小山 1973-8 
 
しかし、仕上がったフィルムはと言うとフレームからはみ出さんばかりに大写しになるか、豆粒のようにやたら小さいかで、いい按配に落ち着いているコマはほんの少し。
撮るのに精一杯で、アングルやらを考える余裕はまだありませんでした。

お手本と言えば同級生と回し読みをしていた月刊誌だけで、師匠もいなければその道に詳しいヤツもいない。そんな完全手探り状態の中で、鉄道写真のスタートを切りました。

撮り始めは東武鉄道 →→ こちら
No.1フィルムと東武電車 →→ こちら

▲小山-小金井 1973-6

2019年9月14日

デンシャがとおる その7・白金にて

▲名古屋鉄道モ601 上芥見-白金 2000-7
 
美濃町線の前身は言わずと知れた美濃電。
砂利道の上を大正の名車・モ510形が伸し歩き、まさに田舎デンシャを体現したような光景でしたが、1967年に揖斐線の市内乗入れ用に抜擢されるとこちらが主戦場になりました。

さて、引き続き美濃町線を巡ります。
こちらは1980年に登場した880形。揖斐線の770形とは兄弟車で、違いと言えば複電圧であることでしょうか。
▲上芥見-白金 2000-7
 
▲白金 2000-7
 
隣の白金駅。
民家の軒先にあるような風情に、細くて頼りないホームがそそられます。
当駅ではタブレット交換を行いますが、運転士同士であっという間に受け渡しをしてしまい、タイミングが中々合いません。
▲いずれも白金 2000-7
 
最後は路面区間で締めることにしました。
▲いずれも競輪場前-市ノ坪 2000-7
 
美濃町線は純然たるローカル線の谷汲線とも大手インタアーバンとも違う、独特の存在でした。しかし、この後名鉄は600V線区全線の廃止を表明、2005年3月、岐阜市内線や揖斐線もろとも姿を消していきます。

渋滞の元凶とばかりに悪玉にされた市内線、鄙びた郊外電車の趣きだった揖斐線、そして独自の雰囲気を醸す美濃町線。そんな個性派揃いが一気に全滅することになろうとは、この時は思いもしませんでした。
▲市ノ坪 2000-7

2019年9月7日

デンシャがとおる その6・瓜実顔の赤い電車

▲名古屋鉄道モ880形の離合 白金 2000-7 
 
新車でありながら中古品の釣合い梁台車、床下や屋根にギッシリと詰め込まれた機器類、一際細長い車体・・・名鉄モ600は異色の存在でした。
美濃町線はそんな電車が平凡な路面区間を走ったかと思うと専用軌道に入り、そして狭隘な生活道路を横目に走ったりと、乗っても楽しい路線でした。
▲モ606 上芥見-白金 2000-7 
 
2000年夏、谷汲線を満喫した翌日は迷わず上芥見電停へ。
ここから隣の白金までは、美濃町線最大の見せ場である併用軌道がありました。右手に田圃、もう一方は狭い生活道路で、花巻電鉄を連想させる風景です。
狙いは勿論こちら、最後の活躍を見せていたモ600形。
美濃町線の利便性を押し上げた立役者ながら、新車・モ800形(2代)の登場によってこの秋には大半が引退に追い込まれてしまいます。
望遠レンズで狙うと、細面が際立ちます。
▲いずれも上芥見-白金 2000-7
 
▲記念乗車券の絵柄にもなりました
 
デビューしたばかりの超低床車、モ800形(2代)。
斬新なデザインで衝撃的でしたが、その活躍は全線廃止までの僅か5年。3両の仲間のうち1両が豊橋鉄道へ、残りが福井鉄道へ嫁ぎますが、現在は全車が豊橋に集結しています。
▲いずれも上芥見-白金 2000-7
 
・・・とここで枚数が結構いってしまいました。
次回へ続きます。
▲いずれも白金 2000-7

2019年8月31日

大夕張の印象 その2

▲三菱石炭鉱業スハニ6車内 遠幌-南大夕張 1982-3
 
1960年代以前、石炭産業華やかなりし頃の北海道には網の目のように運炭鉄道が這い回り、古典蒸機や奇々怪々な客車が当たり前のように闊歩していましたが、国内炭の斜陽と共にその殆どが消えていきました。大夕張鉄道も1973年の閉山に先立って廃線になるハズが南大夕張に新鉱が発見されて延命し、辛うじて余喘を保っていました。
▲南大夕張 1982-3
 
さて、折り返しまでは時間があったので窓口で切符を所望したり客車を眺めたりしながら発車を待ちます。1日3本の割には途中の遠幌を含めて駅員さんが常駐し、窓口では連絡券や往復券も発行していました。
▲南大夕張 1982-3
 
▲全線乗っても片道60円(!)でした

主目的のスハニ6は1913年製・鉄道院出自の木造車という血統。
1967年に同系の美唄鉄道からやって来て以来、大型車体が幸いして客レに重宝し廃線まで活躍します。
スハニの相方・オハ1の前身は更に古く、1906年新橋工場製とこちらも鉄道院出身です。
 
Rが掛かった妻面が特徴のナハフ1は1937年製の自社発注車。観音扉が物々しいですが、他の2両に比べて近代的な印象です。
本日は出番のないラッセル、1940年製のキ1も国鉄OBでした。
蒸機時代の「社形96」を放逐したDL55は国鉄DD13と同系の新製車です。
▲いずれも南大夕張 1982-3
 
冬の短い一日が終わろうとする頃に発車時刻がやって来て最終列車・6レで清水沢にUターンです。とっぷりと暮れた頃に苫小牧の超安宿に到着、乗り潰し貧乏旅を続けました。
 
炭鉱栄華の残影とも言うべき当線も、南大夕張鉱の閉山と共に1987年に最期を迎えます。次回は炭住街と併せて夏の沿線を歩き回ろう・・・などとイメージしながら夕張を後にしましたが、叶うことはありませんでした。
▲オハ1 清水沢 1982-3