2018年6月17日

夏休みはレールバス三昧+α その3

▲南部縦貫鉄道 坪川駅ホームからの風景 1996-8

坪川駅のホームに座り込み、ボケーとしながら有り余る時間を過ごしていると、七戸方向から「ゴー・・・」と軽い、しかし聞き慣れない音が聞こえてきました。慌ててカメラを取り出し、望遠レンズで覗いてみると・・・

あれは何でしょうか?
軌道自転車です。ドラム缶に積んでいるのは除草剤のようです。
よっこらしょっと。
木陰で小休止の後は、点検開始。
野辺地方向から歩いてきたおじさんと一緒に機械のアンバイを確かめています。小さなエンジンがついていますがどうやら除草剤散布用のようで、動力は人力でした。

点検が終わると二人仲良くツーリング・・・ではなく散布作業をしながら走っていきました。
▲暑い中、お疲れ様です いずれも坪川 1996-8

思い掛けない出会いに、妙に安らいだ気分になりました。
さて待つこと暫し、今度は本当に野辺地行がやって来ました。これに乗り込んで帰途につきます。
▲いずれも坪川-道ノ上 1996-8

野辺地に着く頃には薄暗くなっていました。
折り返して発車するレールバスを見送って打ち止めにしました。
▲いずれも野辺地 1996-8

「じゅうかん」はよく「存続すること自体がフシギな路線」と揶揄されました。新幹線七戸駅開業の暁には、連絡線として機能することを夢見ながら生き延びた・・・という話も伝説のように語り継がれています。

しかし、施設も車両も限界を充分に超えていた「じゅうかん」に、莫大な設備投資をする余喘があったか、甚だ疑問です。では、ここまで存続できた他の理由はあったのか・・・これは今もってよく分からないままです。
▲野辺地 1996-8

2018年6月12日

夏休みはレールバス三昧+α その2

▲南部縦貫鉄道キハ101 坪川 1996-8

さて、十和田市の安ホテルに投宿した翌日は、またも早朝から出動です。
先ずは十和田市駅で寄道。移転後の様子如何にと覗いてみると、1面1線の狭苦しい造りになっていました。東急から1982年にやって来た3800系も、少しくたびれた感じがします。
▲十和田市 1996-8

始発列車から狙うも、相変わらずドンヨリと重たい雲が垂れ込めています。気を取り直して、初履修の野辺地周辺に陣取ることにしました。
▲坪-坪川 1996-8

▲いずれも野辺地-西千曳

さて、午前の2本が行ってしまうとまたも延々と待ち続けなければなりません。
このまま引き揚げるか、レンタカーも返してしまったし・・・などと天を恨めしく仰ぎながら昼飯を頬張っていると、見る間に雲が切れて真夏の陽光が差してきました。事情が変わったと、並行する路線バスに乗り込みます。

やって来たのは坪川駅。
雨を存分に吸い込んだ、咽せ返るような草いきれの中、6レがやって来ました。
振り返るとこちら、坪川橋梁。今回初めて夏らしい光線に会えました。 
▲いずれも坪川-道ノ上 1996-8

300mmを付けたカメラに持ち替えて、列車が見えなくなるまで追いました。
坪川駅は土手の上に木組・板張りのホームがポツンと立つ、可愛らしい駅です。
▲いずれも坪-坪川 1996-8

折り返しの七戸行も同じポイントで。
▲坪川-道ノ上 1996-8

これで今回の予定は全て終了、七戸から戻って来る列車で帰るだけになりました。
板張りのホームに座り込むと、夏空の下、グリーンカーペットを敷いたような田園風景が広がっているのが見えました。

・・・とそこへ、遠くから「ゴゴー・・・」とレールを踏む音が響いてきます。
列車は来ない筈なのに何故・・・しつこく次回へ続きます。

▲キハ101車内 1996-8

2018年6月7日

夏休みはレールバス三昧+α その1

▲南部縦貫鉄道キハ101 坪川-道ノ上 1996-8

「じゅうかん」こと南部縦貫鉄道は、誕生から廃線まで紆余曲折の連続でした。
開通後早々と窮地に立たされ更生会社へ転落、しかし兼業に支えられながら1997年の休止まで持ち堪えます。その顛末は既に語り尽くされている感ありですが、持ち堪えたお蔭というべきか、最後までローカル線の風情を体感することができました。

96年夏のこと、定番列車の583系「はくつる」から野辺地に降り立つと、外は生憎の雨。しかし、めげずに先ずはこれまた定例の跨線橋からのファーストショットです。一番列車を見送った後はレンタカーで七戸へ向かいました。
▲野辺地 1996-8

先ずは以前から課題だった盛田牧場前のアップダウン。
軌道敷に除草剤が撒かれたようで、黄色く枯れていました。走り去るテールランプを狙ってみましたが、今ひとつ消化不良です。

七戸行が折り返して来ました。枯草が分からないモノクロの方が無難ですね。
▲いずれも営農大学校前-盛田牧場前 1996-8

午前の2本が行ってしまうと、4時間後まで列車がありません。
雨も蕭々と降るばかりですが、しかしそこはレンタカーの強み、七戸の車庫を覗いたり沿線をロケハンして回ります。
羽後交通からやって来たロッド式のDC251は1959年協三製です。 
▲いずれも七戸 1996-8

結局、この日は太陽が顔を覗かせることなく終了。あちこち見て回るうちに、早くも薄暗くなってきました。
▲中野 1996-8

▲盛田牧場前-七戸 1996-8

さて、遠路「じゅうかん」にやって来てレールバスに乗らない手はありません。夕闇迫る野辺地から下り最終列車・9レに乗車することにしました。
▲いずれも野辺地 1996-8

たった一人の乗客が隣の西千曳で下車。
その後の乗降はなく、停留場を次々に通過して行きました。

「ダンダン、ダンダン・・・」という、足先から脳天へ突き抜ける律動を堪能しているうち、あっという間に七戸に到着です。
▲車掌さんも手持ち無沙汰です

▲はい終点ですよ

さて降りたはいいものの、辺りは真っ暗、遠くに民家の灯がポツンポツンと見えるだけでした。照明が消え始めた駅舎内に残っていたのは、帰り支度に忙しい駅員さんを除けば、余所者の我々2名だけでした。
・・・次回に続きます。
▲七戸 1996-8

2018年6月2日

1983年 阪堺電車・我孫子道にて その2

▲阪堺電気軌道TR1 大和川検車区 1983-12

さて、引き続き大和川検車区を回ります。
戦前形にばかり眼が行ってしまうのは悪いクセですが、まずはこちら、モ151・161形を改造して誕生したモ301形です。
302号は雲電車になっていました。
南海時代最後の新製車、モ351形は現在も全車が活躍中。背後の車庫建屋も改めて見ると惹かれます。
▲いずれも大和川検車区 1983-12
 
さて、ここで見逃せないのは検車区のヌシ・TR1と2。
戦中戦後の混乱期に手持ち部品を集めたり、単車の散水車を改造したりして自作した代物です。
▲いずれも大和川検車区 1983-12

こちらはTR1・2の近影。
TR2のYゲルがパンタに付け替えられている以外は変わりない気がします。
 
広角ズームを持参したこの日は、背面も拝することができました。
▲いずれも大和川検車区 2015-10

こちらもマスコット的存在のデト11。この頃は未だ車籍がありました。
▲大和川検車区 1983-12

ほぼ同じ位置で、2015年現在のデト11。
こちらは38年間変わりがないようですが、空が随分と狭くなってしまいました。
▲大和川検車区 2015-10

さて師走の陽は短く、検車区をぐるりと回るうちに薄暗くなってきました。
この後は住吉電停まで乗車、住吉さんをお参りしてから引き揚げることにします。初詣の喧騒がウソのように静かな佇まいでした。
▲いずれも住吉鳥居前 1983-12
 
▲住吉 2015-10