2023年6月30日

春遠い洛北

▲京福電鉄デナ507 三宅八幡 1971-2

手元の古い記録から、今回はトロリーポール時代の叡電をお送りします。
京福電鉄からポールが消滅したのは嵐電が1975年、叡電が78年。ギリギリ間に合わなかった世代の管理人としては、何度臍を噛んだか分からない路線の一つです。

パンタ化を機に、電車たちは窓がHゴム化・サッシ化されたり車体が更新されたりと少しずつ変貌していき、初対面が叶った時には相当手が加えられていました。


▲ポール廃止の記念乗車券も発売された



▲普通切符は伝統の軟券

三宅八幡付近を軽快に飛ばすデナ507。
デナ500形は言うまでもなく元阪神861形で、管理人が最も好きなデンシャの一つです。

トロリーポールに楕円形の車番プレート、細面の車体に厳つい貫通幌。そして何より伝統のグリーン基調の塗装が実に良く似合っていて、阪神時代よりずっと男前に見えてしまうのはヒイキ目に過ぎるでしょうか。

▲いずれも宝ヶ池-三宅八幡 1971-2

三宅八幡駅の風景。
叡電の主力、デナ21形・121形も原型に近い美しい姿で走っていました。厚く着込み、肩をすぼめながら電車を待つ乗客の姿からは、洛北の厳しい冬が窺えます。



▲いずれも三宅八幡 1971-2

出町柳で発車を待つデナ507。
この位置からの風景は今とあまり変わっていないように見えますが、駅舎は全く別物になりました。




名物のポール回し。
その昔は全国の路面電車などで普通に見られる光景でしたが、この頃既に絶滅危惧種になっていました。まだトロリーホイールを使っていた時代で、1973年にスライダーシューに交換されています。


▲いずれも出町柳 1971-2

デナ500形と選手交代の形で引退したデナ1形。
1925年、叡山本線開業と共にデビューした1形は、優雅な木造車体にドイツ・マン製の台車が魅力的でした。
▲いずれも修学院 撮影年月不明

ところで今回、眼に焼き付いたのは冒頭のカット、詰襟姿の運転士の凛とした姿でした。
これはポールと共に、京福の保守的な経営姿勢が制服にも出ていたと言われていますが、80年代から平凡なスーツ姿になりました。今復活させたら人気が出るような気もします。

デナ500形は、ブレーキ性能の関係で二軒茶屋から先に行くことができませんでした。
しかし、彼が市原や二ノ瀬辺りの、一面の紅葉を力行する姿を想像せずにはいられませんでした。
▲三宅八幡 1971-2

2023年6月21日

蝉時雨の蒲原鉄道 その2

 ▲蒲原鉄道モハ31 高松 1981-9

初めてデンシャにカメラを向けてから早50年。
撮り溜めたフィルムの山を全部データ化するという、気が遠くなるような作業を思い立ってからというもの、未着手分をチラ見しては溜息をつくことが多くなりました。

・・・であればとっとと止めてしまえば良いものを、それまでボツ作品として見向きもしなかったコマが画像ソフトで蘇生するのを見ると、なかなか踏ん切りがつきません。
▲全線健在の頃はバラエティ豊かだった



▲加茂線廃止の頃。西村松も朝だけ有人だったようだ

一方、写真と共に長く勤しんできたのは切符蒐集。
こちらも未整理のやつが無造作に袋にぶち込まれたままで、果たして管理人が生きているうちに目的完遂といくか、こちらも甚だ自信がありません。

そもそも、写真や切符の体系的な整理整頓を見事成し遂げたとしても、程なく自分自身が入滅してしまえば意味もなし、膨大な粗大ゴミだけが残ります。
まあ鉄道に限らず、こうした煩悩は写真や何らかの蒐集を嗜む者にとって、共通の悩みなのでしょう。
▲加茂線廃止・全線廃止記念。記念回数券のデザインがお気に入り

さて、引き続き高松付近を徘徊します。この日の加茂線は、2ドアのモハ31と管理人一押しのモハ12が行ったり来たりしていました。

小高い場所が目についたので、登ってみます。
足回りの草もかわせるし、程良い按配の「小俯瞰」アングルになりました。蝉の大合唱の中、モハ12がコトコトとやって来ました。



▲いずれも高松-土倉 1981-9

続いては交換駅の七谷へ。
1980年に大蒲原が無人になって以降、村松・東加茂と共に数少ない中間有人駅です。

先ず加茂行のモハ31が到着、ここでのんびりと村松行を待ちます。タブレットを手にした駅員さんも暑いのでしょう、ヤレヤレといった体で座り込んでいました。




待つことしばし、村松行のモハ12がギギイと停まりました。

村松行が発車。
窓から顔を出しているこの子らも、いいオッサン・オバハンになっていることでしょう。

▲いずれも七谷 1981-9

振り返ったカット。
線路と境目のない未舗装道路が泣かせます。モハ12が豆粒のように小さくなるまでシャッターを押し続けました。


▲冬鳥越-七谷 1981-9

村松方へ少し歩きます。
ここでも蝉の大合唱と咽返るような草熱の中、しばらく粘りました。





▲いずれも冬鳥越-七谷 1981-9

今度は七谷の加茂方から。
この地の風物詩、ハサギが其処彼処に立っていました。
▲いずれも七谷-狭口 1981-9

これにてタイムアップ、七谷に舞い戻って来ました。
1.5~2時間に1本程度の列車では本数は稼げませんが、存分に山里を満喫し、心地良い疲れと共にモハ12に乗り込みます。
▲七谷 1981-9

薄暮の加茂に到着。
北陸鉄道に端を発した長い貧乏旅もこれで終了です。予期せぬゼンソクの暴走でドタキャンしてしまった新潟交通以外は全てのスケジュールを消化、あとは信越線で帰るだけになりました。
▲加茂 1981-8

さて満足顔で帰京したは良いものの、やはりこれまでの不摂生に加え今回のご乱行が祟ったのか、四畳半下宿に戻るや、以前とは桁違いのゼンソク暴走に見舞われる破目に。

流石に今度ばかりは懲りて、列車で半日かかる総合病院に厄介にならざるを得なくなりました。呼吸器専門医がまだ少なかった時代とはいえ、市販薬で誤魔化し続けた長年の所業をきつく叱咤されることになりましたが、これを機に本格的に養生を開始。

お蔭様で、フィルムが山のようになるまで生き長らえています。

▲七谷 1981-8

2023年6月13日

蝉時雨の蒲原鉄道 その1


 ▲蒲原鉄道モハ31・モハ12 七谷 1981-9

1981年夏のこと、石川県羽咋市で行われた鉄研合宿を目指し、血迷った挙句に急行「能登」のA寝台を奮発。北陸鉄道を皮切りに、真夏の暑さを満喫しながら北陸私鉄を撮って回り、全身汗まみれになりながら夕刻の羽咋に到着。無事に合宿に合流したのでした。

これまでの顛末についてはこちらをどうぞ(切符画像もあります)。

1981年北陸行 →→→ その1(北鉄石川線) / その2(北鉄小松線) /
  
しかし、似合わぬA寝台にショック症状が出たのか、「能登」が金沢に着く頃から持病のゼンソクが悪さを始めます。

乱痴気騒ぎの合宿が終わる頃には自力歩行も覚束ない体たらくに・・・恐らくはホコリにまみれた四畳半下宿生活、そこでの不摂生の副作用がここに来て一気に暴発してしまったのでしょう。


▲ぜいぜい言いながらシッカリ撮っています 金沢運転所 1981-9

・・・という訳で、合宿が解散するや、友人の肩を借りながら這う這うの体で金沢の総合病院へ。点滴だの吸入だのを受けることになりました。
保険証を持っていなかったので結構な額の費用を払い、予定していた鉄研同期メンバーとの新潟交通行をキャンセル、そのまま金沢駅前に投宿です。

少し体調が落ち着いたところで大人しく帰京して養生・・・すれば良いものを、新潟での「遅れ」を取り戻すべく、途中から蒲原鉄道で合流することになります。

ゼンソクというのは不思議な病で、発作がなければウソのようにシャキンと戻ってしまいますから(このせいで何度も仮病を疑われる破目に)、この後やってくる強烈な反作用も考えずに、「雷鳥」に飛び乗り一路新潟を目指しました。


▲冬鳥越-七谷 1981-9

さて前置きが長くなりましたが、何だかんだで無事にメンバーと合流。
この日のメインは加茂線の山里風景ですが、先ずは村松の車庫から覗くことにしました。


▲村松 1981-9

1930年の全線開業時に登場したモハ11形。
ワンマン改造されたモハ12が加茂線廃止時まで運用されたのに比べ、11はイベント時に駆り出される程度で、ほとんど車庫の片隅で昼寝を決め込む日々でした。

3枚目のモハ51はモハ11形の兄弟車です。
戦後モハ41がデビューした際に機器類を譲り、代わりに開業時メンバー・モハ1から機器を貰うという「三角トレード」を経て51に改番。何だかややこしいです。




モハ71は各地に仲間がいた元武蔵野鉄道デハ320形。
頑丈で使い勝手が良かったのか、6両が嫁いだ近江鉄道を始め総武流山電鉄・新潟交通各社で長く活躍しました。


越後交通長岡線からやって来たモハ81。
京浜急行創業期に登場した1形の機器類に新製車体を合体させた代物で、どこか垢抜けない鈍重な印象です。五泉-村松の3連に出動する以外は、終日昼寝をする毎日でした。




モハ91はモハ81・クハ10とトリオを組んで五泉-村松の3連で活躍。
こちらは名鉄の木造車を鋼体化させた、元山形交通モハ106でした。朝の3連だけの運用と思いきや、廃線間際に訪問した加茂線で見掛けた時はビックリしました。


WHコピーの日車製ED1。
この頃はまだ細々とながら貨物列車がありました。スノープラウ取付用ステーもまだ付いておらず、すっきりとした印象です。
▲いずれも村松 1981-9

さて、車庫を辞すると続いてメインの加茂線へ転戦。
先ずは最も加茂線らしい、山里の風景が満喫できる高松で下車です。

▲いずれも高松 1981-9

鉄研一行は畦道に整列、高松の加茂方でしばらく構えました。
山と田圃だけの「日本の原風景」を体現したようなロケーションながら、足元が草ボウボウなのはちょっとうーむです。



▲いずれも高松-土倉 1981-9

・・・とここで枚数を稼ぎました。次回に続きます。
▲冬鳥越-七谷 1981-9