2024年4月10日

「じゅうかん」 最後の冬を行く

▲南部縦貫鉄道キハ102 野辺地-西千曳 1997-2

「じゅうかん」営業休止を間近に控えた1997年早春のこと、一度くらい雪景色を抑えておこうと鉄研時代のメンバーらと画策。訪問の度にお世話になった寝台特急「はくつる」下段をこの日も奮発、徒党を組んでの撮影行は何年かぶりでした。

列車での訪問のハードルがめっぽう高い当線。
しかも真冬となればその高さは一気に上昇しますから、どうしても二の足を踏んでしまいます。この日は青森勤務だったメンバーが飛ばす四駆に便乗させて貰い、水を得たナントカのようにあちこち撮り回ることができました。
野辺地-西千曳 1997-2

新雪の上を滑るように、快走ならぬダンダンと独特の律動で走るキハ102。小さな体躯に巨大スノープラウが厳しいモーターカーも出動して来ました。
▲後平-坪 1997-2



▲いずれも西千曳-後平 1997-2

坪川駅前の小高い丘から。
夏場は草が深くて立ち入れませんが、この時は三脚を杖にして昇ってみました。


▲坪川 1997-2

300mmを付けたサブカメラに持ち替えて追いかけます。
▲坪-坪川 1997-2

午前の運用が終わって一休み中のキハ102。
もしやと期待していたキハ104の出番はなく、ちょっとガッカリです。営業休止間際に殺到した鉄オタ軍団(自分らもですが)をレールバス1両で捌き切れず、続行運転で出動したと後で聞きましたが、何とも皮肉な役割ではあります。
▲いずれも七戸 1997-2

午後の2番列車が来る頃にはもう薄暗くなって来ました。
▲営農大学校前-盛田牧場前 1997-2

野辺地行の最終列車を見送って1日目は終了。
このまま青森に向かうのか野辺地に泊まるのか、同業者らで満員御礼です。

▲七戸 1997-2

十和田市の安宿で集団合宿をした翌日は、生憎の鉛空。
前日と同じ西千曳で構えてみますが、露出が稼げずモノクロに切り替えです。この日も始発から超満員でした。
▲野辺地-西千曳 1997-2


最後のコマはこちらのアップダウンで構えます。
これにて最終回が終了、すぐ後ろにある坪駅ホームに一同集合し、記念撮影をして打ち止めにしました。

さて、「じゅうかん」を語る上で欠かせないのが新幹線アクセス。
これを夢見ながら延命を繰り返してきた当線も、国鉄清算事業団から借用していた野辺地-西千曳間の敷地買取の見通しが立たず、ついに今回の休止に追い込まれます。敢えて廃止にしなかったのはまだ新幹線への希望を捨てていなかったとされていますが、仮に用地問題をクリアできたとしても、車両も施設もとっくに限界を超えている上に、新幹線駅まで新線をつなぐ莫大な資金はどうする算段だったのか・・・これは今も疑問です。



▲いずれも後平-坪 1997-2

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