2018年11月14日

北陸鉄道浅野川線

▲北陸鉄道モハ3011 北鉄金沢 1984-11

蒲原鉄道や新潟交通で目一杯活動するのが通常の新潟行ですが、この日は欲張って長岡から急行「能登」に乗車。早暁の富山で降り、向かったのは未訪問路線だった富山港線や北陸鉄道浅野川線、そして二度目の小松線でした。

▲東岩瀬-岩瀬浜 1984-11
 
▲城川原 1984-11
 
▲内灘 1984-11 
 
さて、地下化前の北鉄金沢駅は、ビルの片隅から遠慮がちに発着していました。
閑散時間帯のため、モハ3011単行が行ったり来たりです。3011を含めた3000系列は、1950年代半ばから次々に誕生し北鉄のイメージを一新した一派でした。
▲北鉄金沢 1984-11

早回りの折、後に控える小松線も気になってしまい途中下車はせずに内灘へ。
ここで見たかったのはクハ1203。1942年木南製・元モハ1800形で、仲間のモハ3563と共に現存するオリジナル車では最古参です。既に一線から外れているようで、ちょっとくたびれた状態でした。
こちらはクハ1211。
1955年、能登線にいた木造客車を鋼体化して登場しました。


主役級のモハ3551。
3000系列の仲間では最も遅く誕生したグループで、近代的なスタイルです。
かつてのポール集電時代は格好良かっただろなあとしばし妄想しますが、京王井の頭線からの8000系転入によって、他の仲間と共に淘汰の対象になりました。
本日の当番、モハ3011。
モハ3551の先輩格ですが、浅野川線から動かなかった3551に比べ、こちらは石川総線→金石線→浅野川線と流転を繰り返しました。

他にもモハ5101など魅力的なデンシャがいますが、狭い敷地に押し込められてちゃんと撮れません。5100形は戦後間もない頃登場した石川総線初の17m車で、同期組の5000形と共に同線区の代表格でした。
▲いずれも内灘 1984-11

これでオシマイ、再会を期して小松線へ急ぎます。
しかし果たせたのは以外に遅く、全車のヘッドライトが不格好になった90年代以降のことでした。

北陸鉄道小松線  →→  こちら

▲佐々木-軽海 1984-11

2018年11月7日

静岡鉄道 長沼にて

▲静岡鉄道20 長沼 1984-8
 
静岡鉄道は縁の薄い路線でした。
かつては秋葉線・駿遠線・静岡市内線などまさに垂涎の世界でしたが、当然その時代には間に合わず、1000形ばかりの静岡線だけではどうしても二の足を踏んでしまいます。
▲静鉄憧れの時代
 
そんな訳で、初訪問はカメラを持ち始めてから10年以上が経った1984年夏・・・とはいえ、この時も国鉄浜松機関区公開イベントのついででした。
営業車の主力は1000形や自社製300形ですが、しかしこの日最も見たかったのはこちらでした。
 
デワ1は1926年製、静岡電気鉄道時代からの生え抜き組。
長らく長沼庫の片隅で眠る日が続きましたが状態は良いようで、現在もイベントに駆り出されます。
 
鶴見臨港の面影を色濃く残すモハ18形20号は移動機扱いでした。一時は保存の話も俎上に上がったらしいですが解体されてしまい、これが一期一会になりました。
一方こちらは現役世代。
主役の1000形は12編成24両が在籍し、すっかり静鉄の顔になった感があります。
300形は全3編成6両が福井鉄道へ嫁ぎましたが、これも大挙してやってきた名鉄OBに取って代わられます。

こちらは最後の吊り掛け車となった351-352編成。既に朝夕だけの出動となっており、この直後に日立電鉄へ譲渡されます。
▲いずれも長沼 1984-8
 
日立に移った後、第一線で活躍中の351-352編成。
▲大橋-川中子 1991-4
 
一方、静鉄で忘れてならないのは100形。
自社製の新造車体に古い手持ち部品を組み合わせて誕生、アンバランスながら完全に自社で造ってしまうところは特筆に値します。同じく自社製の300形・350形のお手本になりました。吊り掛け車ながら使い勝手が良かったようで、熊本・日立両社へ嫁いだ後も長らく活躍します。
▲熊本電鉄モハ502 菊池 1980-9 
 
▲日立電鉄モハ110 大橋-川中子 1991-4

1973年、鮮烈なデビューを果たした1000形もいよいよ先が見えてきたようで、また後悔を繰り返さないように早めに訪問しなければ・・・と思う管理人でした。
▲常北太田 1991-4 
 
▲菊池 1980-9

2018年10月31日

上野駅20番線のこと

▲485系「ひたち」 上野 1980-5
 
在来線だけで、しかも1線も欠けることなく20番線ホームまで。
一体どんな駅で、どんな列車が行き交っているのだろうかと、小さい頃からイメージを膨らませていたのが上野でした。
・・・という訳で、今回は鉄道少年時代から幾度となく通った上野駅20番線ホームからお送りします。
▲いずれも上野 上:1975-7 中:1974-5 下:1975-10
 
新幹線まで含めれば20を超える番線数は珍しくありませんが、在来線だけというのは唯一。東京駅(新幹線開業前)でさえ15番線までしかありませんでした。
▲いずれも上野 上:1973-9 中:1978-9 下:1980-5

華やかな13-18番線に比べると一番端っこで、ちょっと場末感もありましたが、一時は7往復を誇った常磐線の花形・「ゆうづる」を始め、「ひたち」「みちのく」といった優等列車、目立たないながら長距離普通客レも発着していました。

こちらは「ゆうづる」の24系化後の時代。
20系とEF80のゴールデンコンビは1975年に消えましたが、赤い電機の牽く青い客レはまだまだ魅力充分です。次々に発車する時間帯は、北の「匂い」・・・しかし同じ北への玄関口だった13-18番線とも違う独特の雰囲気が漂っていました。
▲いずれも上野 1978-9

特急「みちのく」は1日1往復のロングラン列車で、特急の名に相応しい列車でした。
▲いずれも上野 上:1978-9 下:1975-3 

こちらはロネ・ロザも連結した堂々たる編成の急行「十和田」。
▲いずれも上野 上:1976-7 下:1978-9
 
新幹線工事が本格化する前の1980年、この愛すべきホームは静かに姿を消していきました。列車を画面目一杯まで引きつける当時のフレーミングには珍しく、番線表示をメインに撮り名残を惜しんだのが冒頭の写真でした。
▲上野1978-9

2018年10月25日

築地松と古典電車 その3

▲一畑電鉄デハ61+デハ83+クハ183 一畑口 1994-8

松江に投宿後、さていよいよデハニ・・・と意気込んで始発前から行動開始です。
迷った挙句、1枚でも多く撮りたくなってスイッチバックの一畑口で下車。まずは先日と同じデハ23+クハ101、幸先良いスタートです。
▲伊野灘-一畑口 1994-8
 
レンズを取っ換え引っ換えしながらデハニを待っていると、やって来たのはデハ60形(2代)を先頭にした西武OBの3連。ひどくガッカリしてしまい脱力、冒頭のカットとこの2枚・・・これだけを撮るのがやっとでした。
▲いずれも一畑口 1994-8

気を取り直して、今度は交換風景を狙うことにします。
まず松江温泉側からデハ23+クハ101が入線し、待ち受けていたデハ82+クハ182と交換です。
方向転換したデハ82編成が松江温泉へ向けて先に発車しました。 
 今度はデハ23編成が発車。
少し前へ出てきたかと思うとぐいっと右へ急カーブです。改めて見ると地方私鉄としては線路やポイントが豪く立派で、全速力ですっ飛ばせるのも頷ける話です。
▲いずれも一畑口 1994-8
 
午後には今夜の宿営地・浜田に向かわなければならない身、最後はド定番・大寺駅で下車です。ここから美談・旅伏周辺までは田圃が広がり、来る度に陣取る場所でした。この辺りも平行道路が整備され、新しい住宅も増えて様相が随分と変わってしまいました。
▲いずれも大寺 1994-8

途中で車交があるかもという淡い期待も空しく、動いていた在来車はデハ23+クハ101の1編成に終始。何度か折り返して来るまで待ち続けました。
▲いずれも大寺 1994-8
 
▲大寺-美談 1994-8
 
▲川跡-大寺 1994-8
 
昨日とは打って変わって、風が吹き抜ける心地よい天気でした。
稲穂がサワサワとなびく以外に聞こえてくる音はなく、やって来たデンシャだけが静寂を破りました。
▲大寺 1994-8