2018年9月16日

鶴見線 世代交代の頃

▲鶴見線クモハ73形 安善-武蔵白石 1977-5

72系の天下だった鶴見線に新性能化の波がやってきたのは1979年12月でした。
受験シーズンに入り、気分が沈みがちな79年の暮れが押し詰まった頃、試験会場の下見に行くと言う同級生に同行、その後近くだからと無理やり付き合わせて鶴見線へ。丁度、72系が終焉を迎えようとする頃でした。
▲浅野 1979-12

こちらは入線したばかりの101系混色編成。
103系に置き換えられて古巣を追われ、第二の職場にやって来ました。
▲いずれも浅野 1979-12

かつて63系の残党がぞろぞろと残っていた当線でしたが、1978年に南武線から近代化改造されたクモハ73-500・600番台やクハ79-300番台らが大挙してやって来ると、初期車や63系ルーツ車は殆どが引退。これはちょっと写欲が失せます。

こちらは少数派になっていたクハ79三段窓車。
▲いずれも浅野 1979-12

こちらはその2年前のスナップ。この間で随分と顔ぶれが変わった・・・と実感です。
▲上・武蔵白石 中・浅野 下・鶴見 いずれも1977-5

鉄でない同級生を引き回すのも限界があり、この日はホームでのスナップだけでソソクサと引き揚げてしまいましたが、これが旧型に会えた最後の機会になりました。

「番台分類が大雑把過ぎ」「72系じゃなくて73系」「そもそも近代化改造とは」・・・・などなど72系に関しては一家言を有する方も多いでしょうから、この分野に詳しくない管理人はこの位にしておきます(笑)。
▲いずれも鶴見 1979-12

2018年9月11日

新潟交通 モハ16と小中川あたり

▲新潟交通モハ16 灰方 1988-5

新潟交通モハ16は日車標準型ばかりのモハにあって異色の存在でした。
その出自は1927年製の伊那電デハ120形124。国鉄を経て当線にやってきて以来、ダブルルーフの半鋼製車体で異彩を放っていましたが、1969年に小田急デハ1400形の車体に載せ替えられます。

同じく小田急デハ1400形車体のクハ45とは仲間になりますが、やはりパンタを載せた姿は一味違います。単行で入ったり、クハ45形とコンビを組んだりと80年代まで大車輪の活躍でした。
▲クハ45+モハ16 味方-白根 1988-5

1984年の晩秋のこと、この日はモハ16が単行運用に入りました。一面の田園の中を一直線に走る小中川付近で捕えることにします。
同じ場所で粘っていると、クハ39を逆向きにぶら下げたモハ25がやって来ました。こうした「クハ逆向き編成」は朝夕を中心に結構な本数がありましたが、逆向きのクハは回送扱いで乗車はできませんでした。
▲いずれも新飯田-小中川 1984-11

燕で編成を付け替えて、今度は本物の2両編成で折り返してくるのを待ちました。元武蔵野デハ320形のクハ39は1形式1両、蒲原鉄道モハ71は兄弟車です。
▲小中川 1984-11

さて、モハ16との2回目の邂逅は1988年、3度目の訪問のこと。午後から単行運用に入ったモハ16を追いかけ、最後は灰方近辺に軸足を置いて何度か往復するのを見送りました。
▲いずれも灰方 1988-5

灰方を発車、田圃の真ん中でぐいっと90度カーブすると、カエルが大合唱する中を真っ直ぐに燕へと向かいます。
▲いずれも灰方-燕 1988-5

両端を除いて中之口川沿いを律儀に走る新潟交通ですが、燕~灰方~小中川辺りまでは数少ない開けた区間。灰方は田圃の中に佇立する木造民家のようでした。
▲いずれも灰方 上:1988-5 中・下:1984-11
 
モハ16の出番が終わってしまうとあとは日車標準型モハばかりになりますが、夕方からは今度は仲間のクハ45形がやって来ます。
▲いずれも灰方-燕 上:1988-5 下:1984-11
 
1992年に軌道線がなくなると、後を追うようにこの区間も姿を消して行きました。孤立路線になった当線は、バスとの連携を模索しながら生き残りを図るも、99年に全線が廃止になります。
▲灰方 1988-5

2018年9月5日

揖斐線 夏のスケッチ その3

▲名古屋鉄道ク2323 忠節 1992-9

さて、モ514の2往復が行ってしまうと、あとは751が行ったり来たりになります。
陣取っているこの場所以外に目ぼしいポイントはなく、黒野に舞い戻ることにしました。最寄りの清水駅は住宅地の中にある小さな無人駅です。
▲いずれも清水 1992-9

下校時に差し掛かりモ751は高校生で満杯、黒野に着くやぞろぞろと降りてきたのでしばしこちらをスナップです。先ほどのモ514は既に車庫の奥で昼寝モードでした。
▲いずれも黒野 1992-9

次の狙いは夕方のモ510形2連。
早朝の片道1本以外はこの1往復だけの運用で、これは外せません。尻毛以外のポイントで狙おうと、下方で下車。ホームの端から急カーブを曲がってくるのを待ち受けました。
▲いずれも政田-下方 1992-9

背後の高圧線が目障りですが、長良川橋梁と共に数少ないポイントです。
▲下方-相羽 1992-9

最後は忠節駅へ。
ここで岐阜駅前から折り返してくる2連を狙います。既に辺りは暗くなり始め、周辺の建物が長い影を落としていますが、丁度スポットライトを浴びるように513がやって来ました。
振り向いて1枚。
▲いずれも早田-忠節 1992-9

9月とは言え、まだ強い斜光線がデンシャに照り付けます。
長い晩夏の1日が終わりました。
▲いずれも忠節 1992-9

2018年8月29日

揖斐線 夏のスケッチ その2

▲名古屋鉄道モ514車内 清水-本揖斐 1992-9

さて、引き続き黒野車庫を覗いて回ります。
朝ラッシュ対応をこなしたモ700・750形らが次々に入庫。
黒野から先、本揖斐や谷汲へ向かう各線以外、このまま夕方までお休みです。
▲モ514車内 黒野

当線人気NO.1のモ510形は1926年、美濃電セミボ510として登場以来、70年近くも名鉄で過ごしてきた古強者。88年にスカーレット一色から往年の2色塗分けになったニュースを見たときは思わず快哉を叫びましたが、実物を見るのはこの時が初めてでした。

単純なツートンではなく、67年の市内線直通運転開始時の塗分けにしている所が泣かせます。
▲いずれも黒野 1992-9
 
少し離れて黒野車庫の全景。
コンパクトな構内に1920年代のデンシャが揃い踏み、大手私鉄の一角とは信じられない光景です。
しばらくボーと眺めていると、旗を持った駅員さんが出てきて、入換えを開始です。
古めかしい構内を行ったり来たり・・・黒野の魅力は電車自体もさることながら、それ以上に電車との距離の近さにありました。
・・・と、そこへ514が揖斐線ホームに入線。
運転士さんに聞いてみると本揖斐まで2往復する由、これは事情が変わったと迷わず乗り込みます。
▲いずれも黒野 1992-9
 
山あり川ありの起伏に富んだ谷汲線とは違い、揖斐線は住宅地と田圃の混在する中を一直線に進んだと思うと、あっという間に終点という単調な沿線風景です。

終点・本揖斐駅は広い島式ホームに大きな上屋が掛かり、かつてこの地の中心だったことが偲ばれます。
▲いずれも本揖斐 1992-9

ノンビリしている場合ではなく、駅前でタクシーを捕まえます。
隣の清水駅に近い、田圃が開けた辺りで514を待ち構えることにしました。
晩夏らしい空の下、吹き抜ける風が心地良くあまり暑かった記憶もありません。
ここで514の運用が終わるまで粘りました。
▲いずれも清水-本揖斐 1992-9 

・・・とここで枚数が行ってしまいました。
しつこくまだ続きます。
▲黒野駅舎 1992-9