2018年7月16日

バケットカーと古典客車 その3


▲別府鉄道ハフ7 別府港 1982-9

2軸車や機械式バケットカーがごく普通に、淡々と走る姿を実見して驚いたのは1980年のこと。主目的だったハフ7が屋根の雨漏り修理中のため会うことができず、再会を期して九州に向かった道中のことでした( →→ その1その2)。

それから早2年。
この年の夏休みは阪急電車を皮切りに、関西から中国地方をぐるりと回る旅を企みますが、雪辱戦とばかりに最優先でルートに組み込むことにしました。
▲キハ2 別府港 1982-9

前回と同じく、加古川から高砂線キハ35に乗車、5分で野口に到着です。駅構内をゆっくり観察する暇もなく、同時発車のキハ2にバタバタと乗り込みました。

発車しまーす。
チラッ。 
流し目がちょっとコワイ車掌さんから車内券を買ったり、機械式の運転台に眼を凝らしているうちに、あっという間に別府港に到着です。 
▲いずれもキハ2車内 1982-9

こちらは乗ってきたキハ2のプロフィール。
キハ2は1931年・三岐鉄道の発注車で現在も保存されています。
▲いずれも別府港 1982-9

早速機関区を覗きたいところですが、先ずは折り返して発車する野口行を狙います。パチンコ屋をバックに快走・・・では全くサマになりませんが、沿線風景はどうにも殺風景で眼をつむるしかありません。
▲いずれも別府口-別府港 1982-9

さて、ここでようやくハフ7をじっくりと観察です。
「鉄道ファン」誌の非電化私鉄特集(76年9月号)で初めて見てから6年、やっと会えたという感懐にしばらく浸ることにしました。

古典的な車内。床や背もたれを始め、殆どの部分が木製のままです。
▲いずれも別府港 1982-9

そうこうしているうちに、キハ2が野口から折り返して来る時間に。
隣の別府口まで小走りし、この区間のポイント・・・という程の風景ではありませんが、雑誌にも登場した巨大マンションとの組合せを狙います。
▲いずれも坂井-別府口 1982-9

撮ったと思いきや、今度は土山線に乗車すべく再び走って引き返しました。
・・・次回に続きます。
▲別府港 1982-9 

2018年7月11日

野上電車の夜 その3

▲野上電鉄モハ24+26 登山口 1990-8

初めて体験した白熱灯の車内は70年代末、東北本線のオハ61形だったと記憶しています。薄暗い灯に浮かび上がるニス塗りの木目模様は、一人旅の鉄道少年を感傷に陥れるに充分でした。

しかし、電気ばかり食う前近代的な白熱電球は当時既に希少な存在で、残っていたのは鋼体化客車と中小私鉄の一部くらいでした。

▲モハ31 登山口 1990-9

そんな中、未だ全車両がオレンジ色の光を燈していたのが野上電車。
「白熱灯の世界」を満喫するべく何度か通いましたが、1990年晩夏の訪問では野上中周辺で夕暮れを迎えました。
▲いずれも北山-八幡馬場 1990-8
 
▲野上中-北山 1990-8

▲いずれも野上中 1990-8

静かに発車を持つ最終電車。
乗客はなく、虫の音だけが聞こえてきました。
▲いずれも登山口 1990-9

LEDがこれだけ普及しても未だに「電球色」が残っているのは、原点回帰と言うか、やはり人間にはこの色が合っているのでは、と改めて感じます。

野上電車の夜 →→ その1 / その2

▲日方 1990-8 

2018年7月5日

50.3 ダイヤ改正

▲EF65527 「出雲」 東京 1975-1

「心に残るダイヤ改正」・・・世代や好みによって異なると思いますが、管理人の場合は断然50.3でしょうか。

西日本では新幹線博多開業で優等列車網のほぼ全てがリセット状態になった一方、関東では53.10(ゴーサントオ)大改正までの「つなぎ」といった印象でした。

しかしながら、東京口から20系特急の大半が消えていったり、EF56全車とEF57の大部分が引退したりと、鉄道少年にとっては一大事でした。鉄道各誌が一大ニュースとしてこぞって掲載する中、特に大阪口20系の動向記事を食い入るように読んでいました。
▲急行「津軽1号」。旧客急行は当面安泰です 上野 1975-1
 
▲EF56は全車引退に 宇都宮 1975-1

大改正がカウントダウンに入った1975年初頭、東京・上野両駅を立て続けに訪問、まずは東京駅です。流石に混んでいますが、昨今のように誰もがカメラを持つ時代でなかったせいか、至ってノンビリムードでした。当時の鉄道少年らの定番機はオリンパスペンEE、次いでフジカやコニカのコンパクト。一眼はまだまだ高嶺の花でした。
▲いずれも東京  上・1975-1  下・1975-3

最長急行「桜島・高千穂」が入線です。

愛称板は盗難に遭ったのか、手製と思しき厚紙になっていました。
▲いずれも東京 1975-3

▲153系のサロも消滅です 東京 1975-3

続いては上野。
東北・上信越スジは優等列車の増発以外に変動は少なく、53.10改正まで持ち越しになります。そんな中の最大のインパクトは急行「北陸」・「北星」の特急昇格と20系化でした。
▲いずれも上野  1978-9
 
▲「あけぼの」はこの後も20系で活躍します 1975-1 

房総方面も大きな変化がありました。
183系「しおさい」・「あやめ」の登場で特急網が強化される一方、急行列車も再編されました。
▲東京 1975-8

急行「なぎさ」・「みさき」は廃止され、代わって「内房」・「外房」が登場します。

ディーゼル急行王国だった千葉圏に最後まで残った「犬吠」・「水郷」も電車化されました。
▲いずれも両国 1975-1

一見華やかに見えた50.3改正でしたが、その後の相次ぐストや運賃値上げ、これに対処するための減量ダイヤ改正という悪循環に陥っていきます。そしてこのスパイラルが、転げ落ちるかのように国鉄解体へと突き進む引き金になりました。
▲東京 1974-8

2018年6月29日

京福電鉄永平寺線 その2

▲京福電鉄モハ251 東古市 2000-3 

京福電鉄モハ251形は火災で廃車になった木造車を叩き直し、日車標準車体に載せ替えた電車でした。一見同じながら、京都のデナ11形を鋼体化したモハ241一派とは出自を異にします。

かつては2連を組んで大車輪の活躍でしたが、阪神車の登場で仲間を減らしてここ永平寺線が終焉の地になりました。
▲モハ251 諏訪間-京善 2000-3

さて、一夜明けてみると打って変わって氷雨降る鉛色の空。
めげずに東古市へ、先ずは早朝の本線区間列車からです。この列車は福井で折り返して勝山への出張列車になりますが、本来なら比島辺りで・・・という目論見もこの氷雨で断念、安直に251形同士の顔合わせを狙うことにしました。
本日の永平寺線当番はモハ252。
252は貫通側もHゴムだらけで何とも不細工です。しかし当線専任になったことで、2連時代にはめったに拝めなかったこの顔が図らずも常時見られるようになりました。
永平寺線は構内外れで90度右へ曲がり、後はほぼ一直線に進みます。
▲東古市 2000-3

さて、この雨と寒さでモチベーションも急降下、京善付近を少しうろついた後は早めに切り上げることにしました。
▲いずれも諏訪間-京善 2000-3

最後は市野々付近で。ここから永平寺へ向けて一気に昇っていきます。
▲市野々-永平寺 2000-3

たった2両で倹しくナワバリを守って来た彼らでしたが、この年暮れに正面衝突事故が発生、いとも呆気なく終焉を迎えてしまいました。そしてこの事故が新生えちぜん鉄道へと引き継がれる端緒となったのは周知の通りです。
▲いずれも東古市 2000-3