2021年10月16日

1960年 或るミニ鉄道の記録



▲水間鉄道モハ56 1960-1 水間

現在はうーむな装束をまとった東急7000系に統一された水間鉄道。
たった5kmの沿線は住宅地だらけでこれといった特色もなく、「地味度」にかけては日本有数かも知れません。しかし、歴代の車両を見るとこれが多種多様、しかも次々に転入・転出が繰り返された経緯がありました。

・・・という訳で、本日は手元の古い記録から1960年の水間線をお送りしてみます。
フィルム原版はビネガーシンドロームに罹患はしていないものの、満身創痍ぶり甚だしくキズにカビだらけ、加えて超眠い諧調にピンボケとマイナス要件オンパレード、補正作業もこれが限界でした。

先ずはこちら、モハ1です。
開業時に登場したモハ1形(初代)の機器に戦後新製した車体を載せて誕生。前面のRと腰の低さが何ともアンバランスな、独特のスタイルでした。





モハ11は南海タマゴ形・モハ111の機器に阪急63形の車体を組み合わせて登場しました。



こちらは尾道鉄道との交換トレードでやって来た、元宇部鉄道のモハ56。
宇部鉄道は多くの電車を有していましたが大部分は国鉄時代に淘汰、しかし4両が日立電鉄に嫁ぎ、数を減らしつつも1991年まで活躍しました。



南海から融通して貰った古い部品に新造車体を載せて誕生したモハ251。
2両の仲間のうち、252は倉庫代わりのダルマさんになって余生を送っていました。



1972年に貨物輸送が廃止されるまで、電車が貨車を牽く姿が見られました。
古典的なフト1(旧南海)の隣にいるワムは国鉄からの直通車でしょうか。
▲いずれも水間 1960-1

これ以外にも火災で焼失した車体を復旧の際、四角四面の珍妙な姿で再生された者あり、登場後10余年で九州は荒尾市営に嫁いだ者あり、はたまた旧高野山電鉄や淡路交通OBなどなど・・・1970年に南海1251形で統一されるまで、メンバーの入換えが矢継ぎ早に続きました。

ところで水間と言えば、切符も一風変った独自様式。
よくある「○円区間」や「○から○行き」ではなく「○区」という表示は関西流ですが、戦後間もなく始まったこの様式は1987年頃まで続きました。
▲「特区」の意味が未だに不明

▲歴代の車内券も独特。右下の最終様式はCIマークが地紋に

2 件のコメント:

  1. 水間のことはあまり承知してませんので、スクロールし6~7番目の写真に至ったとき、思わず栗駒の車両かな思ってしまいました。よーく見れば栗駒の車両よりずっと小さいなと気づきましたが。
    デザインは平凡なのでしょうが、何となく愛くるしい車両ですね。

    閑話休題(竜之介は、「それはさておき」というルビを振っている言葉です。)

    最後の2枚の写真は悶絶です。
    水間でも車掌さんから車片を入手しましたが、区間毎に色が異なるというのは知らなかったので最安値しかGETしてなかったんです。
    そのうち、そのうちと思っていたのですが、ついつい後回し。
    いつの間にかCIとなり、切符は切らないアテンダントのお姉さん乗務に切り替わってしまいました。



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  2. maru-haどの

    沿線は住宅地&電車は南海お古ですから、1往復乗ってお仕舞いの人は多かったですね。
    モハ251形は確かに栗原そっくりですが、あちらがナニワ工機になる完全新車に対し、これは新造車体に寄せ集め機器を組み合わせたシロモノでした。やはり長期間は持たずに早々と倉庫になっていました。

    閑話休題(ソレハサテオキ)、CI車内券ですが、貴殿を見倣って貝塚で折り返し待ちの車掌さんに「全部の種類お願いします!あとパンチもね!」と強引にお願いして購入しました。浅草の東武ガールよろしく「何だこの人」みたいな引きつった顔の車掌さんが今も思い出されます。

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