▲長崎電気軌道863・209 観光通り 1998-4
1998年春、長崎での退屈な出張仕事を終えると、予約しておいた安宿へ。
まだビジネスカジュアルなどなかった時代、スーツ+ネクタイ姿では物見遊山の名所巡りを気にもなれず、カメラ1台だけを持って駅を覗いてみました。
広い構内に行き止まりの櫛型ホームのあった長崎は終着駅らしい趣で、今とは別物でした。ここに限らず、新幹線が通るとオシャレな店ばかりが増殖し、鉄道施設は例外なく狭苦しくてツマランものに変貌してしまいます。
さて入場券を買ってホームに出てみると、東京行のロングラン「さくら」が夕陽を浴びて客待ちをしていました。日本の特急列車でもとりわけ長い歴史を誇った「さくら」も、この翌年には「はやぶさ」と併結、その後2005年に廃止になってしまいます。
▲いずれも長崎 1998-4
「さくら」を見送り、駅前に出てみました。
帰宅ラッシュに差し掛かり、電停には雑多な電車が数珠つなぎで待機しています。
都電カラーに復刻された700形は元1067mm区間用の2000形。5両の仲間が次々に離脱する中、開業70周年を記念した動態保存車として残り2019年まで活躍します。
▲いずれも長崎駅前 1998-4
明けて翌日、もう一度長崎駅へ。
ここで大阪からの「あかつき」を狙うことにしました。
「あかつき」は、最盛期に7往復を誇った関西発ブルトレの代表格でした。
この頃はたった1往復ながら座席車「レガートシート」や1人用個室もつないだ賑やかな編成。しかしこれが最後の一閃というべきか、程なくしてもう一つの代表列車「彗星」との併結を経て2008年に廃止されます。
▲いずれも長崎 1998-4
「あかつき」の回送を見送った後は再度長崎電軌へ。
1日乗車券を買いあちこち乗り回してみますが、やはりスーツ姿では動き回るモチベーションも低空飛行です。
▲上・中:西浜町 下:観光通り いずれも1998-4
観光通り電停近く。
200形はその一派(211形・300形)を含め総勢26両の大所帯で、戦後の大型化に一役買いました。1950-53年生まれの最古参ながら、現在もその大半が第一線で活躍しています。
▲いずれも観光通り 1998-4
大浦支線の終点・石橋電停。
ここも線路両側にホームができ、周辺の風景と共に一変しています。
▲いずれも石橋 1998-4
新学期も始まったばかりだと言うのに周りは修学旅行生ばかりが目立ち、加えて動きにくいことこの上ない姿では撮影意欲も名物を食べ歩く気力も失せてしまい、このまま長崎空港から帰途に就きました。
あれから長崎とも四半世紀のご無沙汰、この間低床車のデビューが続き都電OBはおろか初代軽快電車も引退してしまいました。今なお現役を張る200形の陣中見舞いと「家族孝行」を兼ねて再訪の機を窺ってはいますが、訪日客がこうも多くてはちょっと逡巡です。