▲高松琴平電鉄30ほか 塩屋-房前 1998-8
1998年夏のこと、この日は四国一周を果たすという友人のプランに乗っかり「サンライズ瀬戸」に初乗車。あまり写真に興味のない彼を「琴電に付き合ってくれ」と半ば強引に引き回すことになりました。
高松に着くや、名物のうどんスタンドで朝食を済ませ、早速長尾線へ向かいます。
先ずは85年の初訪問から馴染みの西前田で下車。全体的に平凡な風景ばかりの長尾線にあって、左右が開けたこの場所は来る度に陣取るのが常でしたが、いつの間にか背景には高架橋のゴツイ桁が林立していました。
▲いずれも水田-西前田 1998-8
この日もオリジナルメンバー・1000形や5000形がフル活動ですが、その中で異彩を放っていたのは東武からやって来た880。
総武鉄道出自の彼は、琴平線で80年代半ばにお役御免になってから荒れるがままの放置状態でした。しかし志度線・長尾線分断とその後のダイヤ改正を機に奇跡の復活、長尾線専従として5年ほど延命します。外装を更新した際にウインドシルを撤去したせいか、随分とノッペリした風体になっていました。
▲いずれも西前田-高田 1998-8
これにて午前の部を終了。
一人旅だと沿線の「よろず屋」を探し適当に昼食を済ますのが常套ながら、この日は腹を空かせて悲しそうな同行者氏の意を汲んで瓦町へ、「コトデンそごう」で食堂を物色してみます。
しかし週末だと言うのに、「そごう」の各フロアはどこも森閑としています。ブランド品を扱う煌びやかな店も、いかにも財布に優しくなさそうなレストランも人気がなく、用を済ませるや早々に退散するしかありませんでした。時あたかも金融危機真っ只中、無駄にだだっ広い通路を歩き回りながら、先は続かないだろうと暗い予感がしました。
▲公文明 1998-4
▲瓦町 1998-8
さて無事に昼食を済ませ、同行者氏の満足気な顔を横目に、再度長尾線へ。
元山駅の近くでちょっと変化球的なカットを試しながら、夕暮れまで粘ってタイムアップです。
▲いずれも元山ー水田 1998-8
瓦町近くの安宿で一夜を明かした後は、志度線へ。
早朝の3連を狙おうと房前からほど近いこちらで構えていると、デビューしたばかりの元名古屋市交・600形と近鉄OB・20形が仲良く手をつないでやって来ました。
▲上: 下:塩屋-房前 いずれも1998-8
名所だったポイントは防潮壁ができ眺望がうーむな状態に。
これを無理やりフレームから外してみますが、今は壁の幅が広がってしまい、こんなカットも撮れなくなりました。
最後はもう一度長尾線へ戻り、880を抑えてから店仕舞いです。田圃もあと少しで刈入れを迎えるでしょう。
▲いずれも水田-西前田 1998-8
この後間もなく、コトデンそごうは民事再生法適用を申請して破綻。
悪い予感はやはり当たってしまいました。債務保証をしていた琴電本体も連鎖的に倒産、長く暗い時代を迎えます。
そごうが撤退した後の巨大ビルには天満屋が入居、しかしそれも10年余りでまたも閉店の憂目を見ることになりました。その後「瓦町FLAG」として再生を図るも、コアテナントだったスーパーが撤退し、今も空き店舗ばかりで衰退に拍車が掛かっているように見えます。対照的に殷賑を極めるJR駅周辺とはやはり勝負にはならないのでしょうか。