2021年9月15日

上毛電鉄 古強者の時代

▲上毛電鉄デハ81 大胡 1962-12

手元の古い記録から、先日は車両写真のない鉄道情景をアップしましたが( →→こちら )、本日は打って変わって「ザ・鉄板・車両写真」を記事にしてみます。電車大写しのカットばかりでツマランと思われる向きもあるかと思いますが、ご容赦のほど。

上毛電鉄は1977年から西武デハ351+クハ1141コンビが大移動してくるまで、開業時メンバーや鋼体化車など古い電車ばかりが闊歩していました。
しかし、当時は鉄道誌が取り上げることもなく、世代交代が一気に進んだニュースも読者投稿コーナーに小さく載った程度。ご近所の上信電鉄と共に「振り向かれない地味路線」の筆頭格でした。

先ずは上毛電鉄と言えばこちら、デハ100形。
1928年の開業と共に川崎車輌からデビュー、戦後早くに諸所改造されていますが、四角四面の無骨さは最後まで維持していました。現在も残るデハ101はこのところのイベント自粛で活躍の場が減っているようで、今後の去就が心配です。


姉妹車のデハニ51形はデハ100形と同時期に登場。
深い屋根にリベットだらけの車体が象徴的だった「川造(川崎造船)形」とは打って変わった独自デザインで、同じ川崎系とは思えません。



デハ81は元東武デハ2形デハ10で、管理人的に最もごヒイキの電車です。
終戦後に叩き直したのを1947年に借り受け、翌年に正式導入。国鉄ロクサンを割り当てられた東武がその見返りとして供出したうちの1両で、51年に前面が5枚窓から不均等な3枚になった以外はほぼ原型のままです。



▲いずれも大胡 1962-12

こちらは唯一自分で記録できたデハ81。
1978年に廃車され、貨物電車の任務はデハ101が引き継ぎました。


▲大胡 1974-3

クハ11はデハ100形と同じ1928年生まれの生抜き組ながら、元は電動貨車のデカ11。この後デハ化、更にクハ化されるも12m級と小型だったせいか早くから一線を退き、75年に引退しています。



元青梅のクハ501は戦後国鉄を経由してお輿入れしてきました。


クハ601のルーツは木造院電モハ1形の一派・サハ25053。
・・・といっても台車だけをリサイクルして残りは1950年に新造しています。戦後早くにデビューしたせいか、リベットこそありませんが戦前製のような古めかしいスタイルです。
▲いずれも大胡 1962-12

まだデンシャの知識など皆無だった頃、家から1時間強の上毛線にはよく乗りに行っていました。とにかくデハニの揺れが壮絶だったことは憶えていますが、残せた記録はお粗末写真ばかり。クハ601も、乗ったついでに撮ったこのピンボケカットだけでした。
▲粕川 1974-3

元鶴見臨港のクハ701は、全国へ散ったモハ110形の1両。
全10両のうち9両が地方で余生を送り、中でも銚子電鉄デハ301や静鉄モハ20は驚異的な長命でした。現場の使い勝手が良かったのでしょう。


▲いずれも大胡 1962-12

車両不足が極度に深刻だった戦後、従来メンバーだけでは追いつかなくなり各地から雑多な木造車を調達しますが、それを西武所沢工場で再生したのが全金車体グループでした。

クハ61はルーツが成田鉄道の木造客車・ホハニ2という代物で、1958年に再生。このグループ第1号になりました。

デハ161の前身は武蔵野デハ100形で、近江鉄道にも多くが嫁いでいます( →→ こちら
こちらも再利用は台車だけで、あとは新造扱いでした。


デハ171は、西武と自社の手持ち部品を組み合わせて1959年に誕生しています。

▲いずれも大胡 1962-12

さて彼ら、1978年から80年にかけ引退していますから、第一線での活躍時代をいくらでも記録できた筈なのに、小学生のお粗末カットしか残せていない。

ちょうど高校の頃「三無主義(無気力・無感動・無関心)時代」に陥っていたせいか、はたまた国鉄優等列車や切符集めに熱を上げていたせいかもですが、いずれにせよいくら臍を嚙んでも噛み切れないと今更ながら。
▲西桐生 1973-8

10 件のコメント:

  1. 鶴見車と言えば、大アカにいましたクエ9401の姿を思い出します。
    大抵は引き上げ線東端に1輌でたたずむ姿でしたが、かつての任地を望郷している有様は老い先の短さを悟っているようでした。

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  2. 12号線さん

    クエ9401は後年まで残った数少ない買収車の一つですが、これ以外の110は各地に散って第一線で活躍した訳ですから、明暗を分けてしまった訳ですね。
    買収車は国鉄では継子扱いされて早くから事業用になりましたが、国鉄制式車に比べると確かに見劣りしますから仕方ないのでしょうか。唯一の例外が旧阪和なんでしょうね。

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  3. 上毛電鉄は国鉄~JR路線と接続していないので、沿線住民以外の目に触れる機会が極端に少ないですね。自社製の車両が多かったのも、鉄道ファンの関心が少なかった原因かも。

    西武所沢工場製のセミ新車グループは、見た目と足回りは安っぽいが、通勤通学輸送で使うには充分な実用的な設計思想ですね。一見簡素で平凡な車体の割に、類似のデザインが意外と思い浮かばないのが面白いです(笑)。

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  4. 緑の猫さん

    地味度№1の上毛ですが、中途半端に遠くて東京圏から行きにくい、鋼体化車が平凡でつまらない、カナリア色が嫌い(笑)などなど、敬遠された事情は色々とありそうですね。
    平凡な外見なのに類似の電車がないというご指摘、確かにその通りだと思います。同じ時期の鋼体化車だと上信のデハ20形などがありますが、デハ22や23が似てはいますがちょっと違いますし。そう言えばデハ100・デハニ51も川崎車輌なのに類似車がいないのも興味深いです。

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  5. ティーレマンマニア2021年9月22日 19:55

    真っ黄色の塗装、ウ○コ電車とか言ってよく親に怒られていました笑
    西武のお古に変わったときはそれほどでもなかったですが、東武のお古になったときは結構ショックでした。ツマラン車輌になったなぁ、、、と

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  6. ティーレマンマニアさん

    当時の上毛はストばかりやっていて地元の評判も悪かったらしいですから、子どもらにウ○コ電車とかカレー電車とか言わしめたのでしょう(笑)。
    77年に西武車が初めて登場したときは私も抵抗感がなかったですが、やはり東武3000にはガッカリした憶えがあります。地元で散々見慣れた電車であったのと、何よりあの原色満載のうーむな塗装が大きかったのでしょうね。

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  7. 前半の白黒写真は眼福ですが、管理人さんの撮った写真ではないですね。これもネット入手のものでしょうか?そうであれば良い掘り出し物ですね。
    写真見て「あれっ?上信みたい」と思ったのですが、この白黒時代の電車は右運転席だったのですか?

    追伸
    大胡駅でのりょうもう号の硬券特急券のうち、割引券の方は明日が最終販売日。
    走る電車は変われども、超アナログな切符販売が令和まで続いたのもスゴイですね、

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  8. maru-haどの

    右側運転台についてですが、オリジナルのデハ100・デハニ51が戦後右側に改造(それ以前は中央)したのに倣い、西武お手製鋼体化車も右側にしたらしいです。
    1950-60年代のフィルムは大分前に入手したやつですが当時は振り向かれることもなく、どれも二束三文でした。しかし、これらも故人の遺産を家族が投売りした結果かと思うと、ちょっとやりきない気分になります。あ、自分のフィルムもそうなるのか・・・

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    1. 補足情報ありがとうございました。
      営団6000系以降の電車前面のデザインは運転席寄りのガラス窓を大きくしていますが、その先駆者かな?上信と同じようにに独自の運転スタイルを守るのはスゴイですね。
      情報ありがとうございました。

      追伸
      撮影データ(ネガ)群の行く末を心配されてますが、「なるようになる」だと思います。
      現に、かつての同好の士の作品群をこのようにして発表する方もいましたから。
      なので、仮に管理人のご子孫が貴重な撮影データ群(ネガ)をヤフオク・メルカリしたとしても、それを受け取った方がUPしてくれるかもしれませんよ。

      そう考えれば、「行く河の流れは絶えずして、しかも元の淀には非ず……。」と謂う、時代とともに去りゆく儚さを表現した一文が頭をよぎります。





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    2. maru-haどの

      いやー、戦前東武の代名詞・5枚窓を適当に改造したらこうなっちゃったような。
      フィルム遺産(?)の今後ですが、あまねくこうした記録を保存・共有する仕組みがあれば良いのでしょうが、名のある写真家ならともかく個人のフィルムはちと難しいでしょう。我々世代は鉄人口も多いですから、希少価値もなく淀みに浮かぶ泡沫の如く消えてしまう気もします。あ、切符もそうだった!

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