・・・という訳で雨の別所線撮影記の途中ですが、本日はこれに便乗して昭和から平成に代わる頃に撮影した記録からお送りします。
昭和最後となった64年は1週間しかなく、記録はゼロ。
しかしこの前年、63年(1988年)は各地を随分と撮り回っていました。初夏に訪れた新潟交通ではこの六分を始めとした駅風景の魅力を再発見、改めて駅に軸足を置く撮影スタンスのきっかけになります。
昭和時代最後の遠出となったのは秋の東北私鉄行。
生憎と秋雨に祟られてしまいましたが、津軽鉄道を訪問した1日だけは絵に描いたような秋晴れ、川倉付近の田園風景に触れました。
▲岩手開発鉄道キハ202 日頃市 1988-9
▲津軽鉄道キハ24023 芦野公園-川倉 1988-9
一方平成最初の撮影行はこちら、琴電と片上鉄道でした。
▲高松琴平電鉄325+300 春日川-潟元 1989-2
▲同和鉱業片上鉄道キハ303 周匝-美作飯岡 1989-2
改めて見ると、30年前の地方私鉄には撮りたい車両、魅力的な風景が山のように残っていました。
時はバブル絶頂期、しかし長時間労働・低賃金の新米社会人だった管理人には彼岸の出来事でした。最も安い撮影ルートは何か・・・などということばかりに頭を捻っていました。
この辺りは一通り乗ったり撮ったりしていますが、この中で唯一の本線上を走行できる現役車が遂に余命宣告されてしまいましたね… 近江や長崎電軌の顛末を鑑みると、動態、静態問わず、もう日本国内で電車や電気機関車をを保存するのは極めて厳しい状況みたいで(新規には大手鉄道会社やメーカー、行政以外は事実上無理?)。
返信削除雪うさぎさん
返信削除どうもこの国には産業遺産を保存するという気概が欠けているようで、本当に残念です。
指定を受けた電車ですらこれでは、余力のない中小事業者には永久保存など到底無理かも知れないですね。
破綻前後の姿勢が色々と言われる琴電ですが、これだけの車両を維持してきたことは特筆されますね。