2022年1月9日

1981年北陸行 その5



▲京福電鉄テキ521 轟-越前野中 1981-9

貧乏撮影旅行を続けていた学生時代は、「いかに安く夜を明かすか」が重要課題でした。
「夜行列車でUターン技」だけでは限界がありますし、せめて風呂くらいには浸かりたい。ユースホステルは市街地から遠いのが多いし、そもそも一人で泊まる度胸もない。

・・・となると、総合点でのトップはやはり駅前の安宿ということになります。
ネットがないこの時代はビジネスホテルの案内本が必需品で、近さと金額を秤にかけながら選択には随分と悩みました。同行の友人がいれば暑苦しいツイン部屋にして数百円を浮かしたりもしました。


▲轟-越前野中 1981-9

さて、この日も福井駅前の安ホテルに投宿後は今回の旅のメイン・京福電鉄です。
軒先だけで失敬した1978年春以来の訪問でした。

先ずは福井口車庫を一覗きです。
70年代始めまでの当線は、雑多な生抜き組に加え旧阪神に旧京王と転入組も魅力のキャストで、まさに珍車・奇車の宝庫。形式名が「ホデハ」「ホクハ」であるところにも惹かれましたが、この頃は南海車に席巻され形式も「モハ」「クハ」に代わっていました。
▲京福と言えば雷マークの社紋

▲社線内は軟券が多かった

2000形は言わずと知れた南海1201形。
16両の大所帯でお輿入れし10年に亘り主役を務めますが、この翌年から阪神ジェットカー車体への載せ替えが始まりました。



241形の前身は京都電燈(京福京都→叡山電鉄)デナ11形で、1957年にこちらの日車標準車体に変身。足回りは古くても全金車体でしたから、南海車がやって来るまでは本線の優等列車にも充当されました。

こちらは戦後の自社発注車、モハ1001形。
3両の少数民族が祟ってか、時折区間運用に出動する程度で目立たない存在でした。この後間もなく、仲間の1002が事故廃車になるや道連れにされてしまいます。
▲いずれも福井口 1981-9

モハ271形の出自は小田原急行鉄道の祖・1形。
各地へ散った仲間のうち、3両が相鉄を経てやって来ました。当初サハを挟んで3両固定編成を組んでいましたが、既にサハは外されています。


こちらはマスコット的存在のテキ6。
電動貨車然としていますが、1920年に京都電燈が導入した由緒ある機関車で、本線貨物がなくなってからも車庫入換え用に長く在籍しました。えちぜん鉄道になった現在も、勝山で大切に保存されています。




保線やラッセル用に残った日立製のテキ521。
パンタを上げて待機中のところを見ると、この後出動するのでしょうか。


片隅にはお役御免になったデンシャ達が鎮座しています。
もしやと淡い期待を抱いていた元国鉄EC40のテキ512は、残念ながらいませんでした。





▲いずれも福井口 1981-9

南海車ばかりでモチベーションは低空飛行ながら沿線風景に転戦、先ずはこちらで下車することにしました。
・・・まだ続きます。
▲轟 1981-9

2 件のコメント:

  1. ティーレマンマニア2022年1月9日 19:21

    今年もよろしくお願いします。

    夜行急行折り返し、やりましたねぇ~、ホント若かったんですよね、今では絶対ムリです!!

    さて、最初の京福電鉄の写真ですが、これって一般貨物列車でしょうか?やはり工事列車ですか?

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  2. ティーレマンマニアさん

    こちらこそ宜しくお願い致します。
    夜行折り返し、特に北海道では「まりも」「大雪」「利尻」と周遊券で何度でもできましたね。連泊する猛者もいましたが、学生時代でも3連続が限度でした。今はもちろん1泊も無理です(笑)。
    冒頭のテキ521は次回種明かししますが、工事列車です。車庫でパンタ上げて待機していたやつが絶好のロケーションの中突然やって来たので、嬉しかったのを憶えています。

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