2019年2月11日

一枚のスナップから その4・あと5年の妄想

▲越後交通クハ104 長岡 1974-8

あと10年、いや5年早くカメラを持ち始めていれば、あれもこれも撮れたのに・・・という叶わぬ妄想は、鉄道好きならずとも一度は抱いたことがあるのではないでしょうか。

全てのデンシャが珍しかった鉄道少年時代、限られたフィルムで眼につくモノを片っ端から撮っていたので、1デンシャにつき1枚が関の山、それきり一期一会になってしまうことが多々ありました。
・・・という訳で、今回は「あと5年遅くまで残っていたら」四方八方から撮りたかった電車たちです。

上毛電鉄は「いつでも行けるから・・・」とノンビリしてしまい、碌に記録できないうちに世代交代が終了、何度臍を噛んだか分からない路線。このデハ81も1978年引退ですからいくらでもチャンスはあったハズですが、これ1枚きりの体たらくでした。
▲大胡 1974-3

長電モハ401・411形は東武の「デッカー」が前歴。
初めて信州入りしたこの日、朝からあちこち徘徊して帰り際にスナップしたのがモハ411でした。屋代で彼を見たのはこれが最初で最後でした。
▲屋代 1974-3

北恵那鉄道も、昼寝中の電車たちを瞥見してオシマイでした。
▲中津町 1976-7

銚子電鉄デハ201は、京成電鉄が手持部品を組み合わせて作った唯一無二の電車。現在なら一日中追い回しているところでしょうか。
▲仲ノ町 1975-10 

地元東武では何と言っても戦前形東武の代名詞、54形。
最後の3編成6両は館林に集結していましたが、初めてカメラを持った半年後、ひっそりと姿を消して行きました。
▲いずれも館林 1973-7

2 件のコメント:

  1. モハメイドペーパー2019年2月12日 11:02

     車庫の中という制約はあるだろうけど、今ならモハ54のとなりのモニも強引に撮りますね。

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  2. モハメイドペーパーさん

    今だったら片っ端から撮りまくりたいところです(笑)。
    この頃はモニも一灯の筈でしたが写しておらず、後で地団駄を踏みました。館林検修区は出入り自由で、この時は小学生でしたが、構内をうろうろしても何も言われませんでした。良き時代でした。

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