2024年7月17日

おけいはんの曇り空 その1



▲京阪電鉄1809ほか 河内森-私市 1981-2

1981年の鉄研「追い出し合宿」は九州・高千穂。
合宿地へは現地集合でしたから、もとより真っ直ぐに向かうハズはありません。各自九州ワイド周遊券片手に、どう寄道をしながら現地入りを果たすか頭を捻っていましたが、山陰経由や北陸経由、果ては東北への夜行急行に乗り込む者など、如何に趣向を凝らしたルートにするかを競い合っていました。

「乗り潰し」にはそれほど拘らない管理人は、当時スタンダードだった「大垣夜行」で出発。「京都の私鉄電車を総なめにする」という友人の尻にくっ付き、叡電や阪急そして京阪電車の初訪問を果たすことにしました。




▲上:桂 中:八瀬遊園 下:京津三条-東山三条 いずれも1981-2

さて叡電を丸2日歩いた翌日は、生憎の雨。
めげずに先ずはこちらの駅で宇治線主力メンバーを押さえます。時あたかも昇圧に伴う劇的とも言える世代交代を間近に控えていた頃でした。

▲中書島 1981-2

「スーパーカー」こと2000系は1960年代の大量輸送時代を担った立役者。
タマゴ形のモノコック構造に3扉、オールM車の高加速性能に電力回生ブレーキと京阪の新しい通勤車のシンボル的な存在になりました。この後間もなく全車が2600系に生まれ変わります。




2代目600系は1961年、昭和初期に登場した初代600型の機器に新造車体を載せて誕生。
吊掛け車ながら更新に次ぐ更新を受け、本線の急行から支線ローカルまで幅広く運用されていました。複々線区間をフルノッチで飛ばす姿も見たかったところです。

▲いずれも中書島 1981-2

本線メンバーも押さえておきます。
先に引退したばかりの5000系がまだ最新鋭の時代。2000系の後輩格、2200系も今なお残る最古参組となりました。


▲いずれも中書島 1981-2

雨も小降りになったところで沿線へ、先ずは宇治線からです。
特急で鳴らした1900系は、この後の昇圧化・冷房化と大手術を乗り切り、2008年まで長命を保ちました。


▲いずれも六地蔵 1981-2

宇治線では最も左右の開けた地点でしばらく粘ります。
1300系は戦後間もなく登場した省規格形で、小型車オンリーだった京阪の大型化のきっかけを作りました。
▲いずれも桃山南口-六地蔵 1981-2

六地蔵の宇治方へ移動。
かなり窮屈なフレームながら、勿論押さえておきます。



▲いずれも六地蔵-木幡 1981-2

ここから宇治までは国鉄奈良線が並行。
1879年生まれのこちらの方が断然先輩格ですが、キハ35がノンビリと走るローカル線の風情でした。

▲桃山-木幡 1981-2
                             
これにて宇治線は終了、次は交野線に移りました。
・・・次回に続きます。
▲河内森-私市 1981-2

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