2023年1月22日

多士済々 大井町のデンシャたち

▲東京急行電鉄デハ5028 大井町 1975-7

大井町線が「田園都市線」と称していた時代。
起点・大井町には東急オールキャストとも言うべき様々な電車が出入りし、これが鉄道少年を刺激したのか、上京する度に立ち寄ってスナップしていました。

先ずはこちら、3000系一派。
戦前を代表する名車・3450形を始め、戦災復旧車の3600形や省規格型の3700形などなど、出自も形態もバラエティ豊かでした。一番下のデハ3705はこの後名鉄に嫁いでいます。


▲いずれも大井町 1974-8

ステンレスカー時代の嚆矢となった7000系やその後継者・7200形もやって来ます。

▲いずれも大井町 上:1975-7 下:1974-8

そして勿論こちら、青ガエルも外せません。
1979年に営団半蔵門線との直通運転が始まり田園都市線と大井町線が分離されると、前者は8500系、後者は5000系に統一され、様々なデンシャの競演も終焉を迎えました。
▲大井町 1974-8

現在うーむな置物状態になったトップナンバー。
一時代を築いた電車ですから、ハチ公前に据え置く前にもっとマトモな保存方法を検討できなかったものか、と今でも思います。しかし、長電に嫁いだデハ5015が総合車両製作所(旧東急車輛)で復元される由、こちらは期待大でしょうか。
▲大井町 1980-4

4 件のコメント:

  1. モハメイドペーパー2023年1月22日 14:18

    まだ梶が谷止まりがあった時代ですね。鷺沼で日中の分割併合はなくなっていたのでしょうか。この頃のすずかけ台は行ったことがありませんが、写真で見ると丘陵を切り開いて仮駅みたいな荒涼とした風景です。

    返信削除
  2. モハメイドペーパーさん

    調べてみましたら、鷺沼の分割併合は1968年で休止して4両が長津田まで直通したらしいですが、4両が2両になるとはローカル私鉄並みでしたね。この頃の沿線は荒涼とした原野が広がっていたようで、現在の「最も混雑する路線」が信じられないですね。これといって観光資源のない沿線も高齢化が進んでこの先どうなるのか、興味深いです。

    返信削除
  3. さすがに3000系の頃は存じておりませんが、二子玉で分離後の大井町線は数度利用あります。
    中でも6000系の走行音は「悪魔の雄叫び」と称されるが如く、その存在は唯一無二でした。
    ところで大井町駅脇に都道420号が伸びており、写真の頃は細道だったであろうと思われます。
    最近になり整備が進み、東上線との交差部分も線路を高架化し更に大山駅移転と言う大工事でかわすようです。

    返信削除
  4. 12号線さん

    6000は東横線で最後の活躍をしている姿を辛うじて見ることが出来ました。急行で飛ばす音は轟音というか独特のサウンドでしたね。
    この当時の大井町付近は戦後の匂い、雰囲気が残っていたと聞いたことがあります。ここも20年以上ご無沙汰していますが、現在は随分と変わってしまったのですね。

    返信削除

コメントはフリーでお受けしています。ただし管理人判断で削除することもありますのでご了承下さい。