最近のJR駅の改装といったら、とにかくオシャレかつ小綺麗にして店舗ばかりを増やし、何とかして客を駅外へ出さないようにする施策ばかり。ホームも通路もコンコースも待合所も狭苦しくて危険になる一方で、交通インフラの使命はどこ行ったと言いたくなります。
まあ民営ですから仕方ないのでしょうが、最近の「みどりの窓口閉鎖騒動」といい、安全とかサービスより消費欲を刺激することばかりに腐心していると思うのは管理人だけではないでしょう。
▲国道 2024-5
そんな中、誘客の見込みなしと見られているのでしょうか、鶴見線の各駅はこの50年ほとんど変化がありません。「強欲リニューアル政策」とは無縁の当線、しかしそこに惹かれて鉄道オタクだけでなく乗車だけを目的とした一般客が増えているのは、そうした非日常と無縁ではないのでしょう。
こちらは異世界の筆頭格、国道駅。
▲いずれも国道 2014-5
こちらは最近の国道駅。
この数年、「推し活動」の一環として励んでいる古い商店街巡りの折、10年振りに立ち寄ってみました。ラッチがなくなった以外、「間違い探し」をするくらい変わっていませんでした。この姿のまま幾星霜、何人の乗客を見送ってきたのでしょうか。
▲いずれも国道 2024-5
変化といえばガード下の住居はベニヤ板ばかりが目立ち、郵便受けは塞がれていました。
いつまで経っても変わらないようで、少しずつ、しかし確実に変化は進んでいます。戦後居ついたであろう住人らは、一体どこへ行ったのでしょうか。
最後まで営業していたこちらの居酒屋も、最近になって店を閉じました。
▲いずれも国道 2024-5
駅舎ばかりではツマランですから、旧型国電時代のカットも幾つかアップしてみます。
初めて鶴見線に乗ったのは1976年の夏休み、まだロクサンの残党が主役だった頃でした。これ以降、思いついては幾度となく通うようになり、国鉄(JR)線ではダントツの訪問回数になりました。
▲いずれも扇町 いずれも1976-7
こちらは1977年の初夏。
この翌年、南武線から撤退した更新車が大挙してやって来ると、玉突き式にロクサン車のほとんどは駆逐されていきました。
そして72・73形が終焉を迎える頃。
都落ちしてきた101系が活躍を始め、混色編成も見られました。
大川支線用に残った2両のクモハ12。
1988年、本線の閑散時間帯用に白羽の矢が立ち、1.0kmの狭苦しい職場から解き放たれたように、軽快に飛ばす姿をしばし見ることができました。
▲新芝浦-海芝浦 1990-5
▲武蔵白石-大川 1990-8
▲弁天橋 1990-5
駅構内に初めてコンビニができたのは確か90年代の中頃、阪急十三駅の「アズナス」だったでしょうか。出来たばかりの頃は物珍しくて、管理人も野上電車訪問の折にわざわざ立ち寄ったりしました。
そしてこれを好機とみた各社、特にJRは全国的かつ加速度的に導入し、ネコの額ほどの空間にも増殖させていきます。もはやヨーロッパのターミナルのように、古い建造物を後世に残すべく脈々と守り、堂々とかつ広々とした空間を維持する姿勢など望むべくもないのでしょう。