新幹線開通前の高崎線は、上信越線の雄「とき」「あさま」を始めとした優等列車群に加え、バラエティ豊かな電機に惹かれた貨物列車が分単位で輻輳し、国鉄時代からの大繁盛路線。八高線の並走区間もあるし、高崎第一機関区の留置線からお出ましになる40・70・80系を見ることもできましたから、2時間も粘れば36枚撮りフィルムなどあっという間に終わってしまうのが常でした。
高崎駅のスナップから →→→ こちら
そんな訳で高崎周辺にはもう数え切れないほど通いましたが、本日は1980年暮れの新町付近での記録をアップしてみます。
まずはこちら、早朝の上野を出る高崎行2321レ。
当時高崎線に唯一残っていた鈍行客レで、高崎から列車名を変えて長野まで通っていました。
▲新町-倉賀野 1980-12
寒風に晒されながら線路際をてくてく歩き、左右が開けてきた辺りで始動です。
特急列車の代表格「とき」「あさま」はもうウンザリするほど登場。
この頃は両者とも車種統一が進み、しかもイラストのヘッドサインに前面非貫通とあっては、管理人世代はどうにも食指が動きません。
電機のバラエティも外せません。
圧倒的多数派だったEF15に交じって、信越線や両毛線からの直通組も次々にやって来ます。
ご老体の181系も最後のご奉公。
481系改造車の腰高サロが目を引きます。これは1978年、183系の編成に合わせるべく食堂車を廃止したのと引き換えに登場した代償でした。
たった半日ながら早くも飽和状態、段々と飽きてきてしまいました。
今となっては実に贅沢ですが、様々なデンシャたちが引っ切りなしに眼前を錯綜していると、感覚がマヒしてしまうのでしょう。
そろそろ引き揚げようと思い始めた頃合いに登場した、荷電4重奏。
この時は知りませんでしたが、隅田川から上沼垂まで通う名物の2043Mでした。
▲いずれも新町ー倉賀野 1980-12
冬の陽は短く、最寄駅に戻ってくると薄暗くなっていました。
目の前を特急列車が「シャーシャー」と通過し風が止んだかと思うと、後は静寂に包まれる。忘れた頃に自分の乗った各停が「プシュー」とドアを閉める。そんな空気も味わえる機会も、めっぽう少なくなりました。
▲倉賀野 1980-12
同じ頃、ほんの一時運行されていた「EF12+EF15」もお目にかけましょう。
何しろ朝が早い列車で、この時は帰省していた実家から始発電車で駆け付けてやっと間に合った次第。八高線ホームの先端で待っていると、冬の低い陽を浴びながらゆっくりと近づいて来るのが見えました。
▲いずれも高崎 1980-12
先回りして渋川で待ち構えました。
ここで切り離し、北上する者と横道に逸れる者とに分かれます。
▲渋川 1980-12
4連の荷電は隅田川発ですか。朝方に山貨を6~7連で北に向かう荷電もあったけど、別のスジですね。
返信削除181系ときの先頭に立つクハ180、後に九州へ向かう-5と思われます。
返信削除ひたち増発で鹿児島から勝田へボンネット初期型クハが移動しましたが、181系改造車はそのまま残置して民営化迎えましたね。
互いに本来の仲間が無くなった後、異郷の地で果てるまで活躍したのもつい最近の様に思えます。
モハメイドペーパーさん
返信削除この分野はめっぽう弱いので甚だ自信はないですが、上沼垂まで遠征する荷電は多くないでしょうから、時刻からして荷2043M(荷2047Mと書いた記事もあり)かと思います。国鉄末期までは首都圏でもうウンザリするほど見かけた荷電、何かの「ついでスナップ」ばかりながら、塵も積もればで随分と記録できたのは幸運でした。
12号線さん
返信削除481系500番台は国鉄末期のダイヤ改正に生まれた最後の一閃のようでした。赤帯を巻いた「有明」には残念ながら会えませんでしたが、90年代まで生き永らえるとは思ってもみませんでした。