▲上信電鉄デキ3 高崎 1974-12
上信越方面へと次々発車する優等列車に各線ローカル電車、八高線のDC、そして上信電鉄の奇々怪々な鋼体化車・・・新幹線開通前の高崎駅は、多彩なデンシャが見られるという点では全国有数ではなかったかと思います。
熊谷と並んで「ちょっと足を伸ばして・・・」と思いついては向かっていた高崎駅ですが、本日はカメラを持ち始めの頃、1973-75年のスナップからお送りします。
まずはこちら、0番線の上信電鉄です。
この頃、鉄道誌には殆ど登場せず滅法影が薄かった上信線でしたが、1973年の初訪問ではどんな電車がいるかすら分からず、ピンク基調の塗色を見て驚いてしまいました。
0番線先端からのファーストショットはクハ300形でしたが、この後幾度となくここからレンズを向けるようになります。
▲高崎 1973-7
最新鋭のデハ200形に混じって多彩な鋼体化車もぞろぞろと屯ろしています。
こちらは木造省電を出自とするクハニ13で、上毛電鉄を経てやって来ました。
この後青色部分がピンク→ピンク一色→茶色一色へ、更に前面に社紋がついたりと目まぐるしく変化していきます。
新幹線開通と共に役割を失い、2004年には1番線自体がなくなってしまいました。
▲いずれも高崎 1974-12
2番線は高崎線上り列車の発着もありましたが、上信越方面への優等列車やローカル電車がメインでした。右に見える高崎駅舎もまだ改築前です。
2番線ホームの先端を区切った3番線は、現在まで続く八高線専用ホーム。
初訪問の頃は10系でしたが、この後間もなく20・35系へと世代交代が進みます。
4-6番線は上信越線、両毛線、吾妻線の各線ローカルが輻輳。
これは現在も同じですが、発着番線がこれほど定まっていないというのもあまり例がないでしょう。
碓氷を越える80系もやって来ます。
そして7-8番線は高崎線上り。
183系1000番代「とき」はデビューしたばかりで、181系を見慣れた眼には随分と新鮮に映りました。
▲いずれも高崎 1974-12
行き交う電車たちに混じってやって来るEF12やEF62の貨物も見逃せません。
この頃は「とき」の一部を除いて全列車が停車していました。これだけの大ターミナルだから当然と思っていましたが、現在の新幹線「かがやき」は全て通過、かつての栄華は見る影もありません。ちょっと北陸方面への直行客を優遇し過ぎでは、と思う高崎ビイキの管理人です。
ときの車掌氏の白制服姿、優等列車ならではの光景でしたね。
返信削除高崎には2321列車が健在な頃足を伸ばしてみましたが、東海道とも違う面々が集う鉄道の街の印象を抱いたものでした。
旧駅舎と並ぶ115系、そのブロアー音も印象に残っておりますがつい最近になって絶滅したとの記事に隔世を感じずにおれません。
12号線さん
返信削除殆どの優等列車が停まるだけでなく、車種もバラエティに富んでいて本当に楽しい駅でしたが、大宮とも名古屋とも違う独特の空気感があった気がします。
2321列車は、私も上信電鉄や高崎線撮影の際はいつも利用する馴染みの列車でしたが、よくあの時期まで残っていたと思います。この時の115系スナップは、デビュー間もない冷房車が珍しくて撮ったものですが、その彼らが全滅する時代とはちょっと信じられないです。
この頃の上信の色、鹿児島交通のキハとよく似ていますね。
返信削除モハメイドペーパーさん
返信削除何十年も気付きませんでした(笑)。
上信のはローズピンクだとばかり思っていましたが、正確にはコーラルレッドというらしいです。これをもっと濃く且つくすんだ感じにすれば、帯は似た感じですから鹿児島交通そっくりになりますね。
旧型車には結構似合っていて好みでしたが、81年の250・6000形登場あたりから統一性がなくなってしまいましたね。