2023年12月30日

良い年をお迎え下さい

▲弘南鉄道ED333 新里 2016-2

いつも小ブログをご覧頂き、ありがとうございます。
「物価高」「酷暑」「戦争」「闇バイト」「キックバック」とウンザリ報道の半面、「八冠」「アレ」「デコピン」とほっとする話題も事欠かなかった2023年でしたが、皆様方にとってどんな1年だったでしょうか。

世はまさにSNS全盛期、「タイパ(タイムパフォーマンス)」なる効率至上主義に浸潤され、とにかく「できるだけ短時間で、少しでも多くの情報を」なんて傾向ばかりの気がしています。ブログという発信手段ももはや古臭い印象、SNSより冗長なその役割も終わりに近付いているのでしょう。

ご他聞に漏れず、古い写真をアップするだけの偏屈小ブログも、アクセス数は超低空飛行。加えて本来は楽しいハズの、記事の構成を考えたり文章を作ったりする作業も、最近は結構しんどくなってきました。もとより趣味100%で収益性はゼロですから、これでは自縄自縛です。


▲三菱大夕張鉄道 清水沢 1982-3

最近はインスタグラムの優先度が急上昇しています。
写真を1~数カット上げて「はい終了」ですからお手軽この上なく、閲覧者が多い上に他の作品から刺激を受けたり啓蒙されたりもします。

アップした途端にリアクションが100件などという動きを見ると、もう驚くほかありません。しかし一方で閲覧の「賞味期限」は長くて3日、その後は見向きもされず、とにかく新陳代謝が早い早い。手間暇かけた1枚の賞味期限がこれでは、と思ってしまいますがSNSとはそういうモノなのでしょう。

▲野上電鉄 北山 1992-8

管理人にとって、ブログの現在の役割は「自分の好きな分野の記録を、アーカイブとして残す」ことに尽きます。

撮りためたフィルムを漫然とHDDに保存してオシマイでは単純作業の繰り返しで、趣味といえどもさすがに詰まりません。ブログによる発信を糧にしながら地味な作業を繰り返し、自分なりの記録を集成していく、忘れた頃に後から一覧として見返し楽しむ、といった所が最大の魅力でしょう。


▲南部縦貫鉄道キハ102 七戸 1997-2

という訳で、色々と聞き苦しいゴタクを並べてしまいましたが、相変わらずの超スロー更新ながらもう少し続けていきたいと思います。

2024年が皆様方にとって良き1年となりますように。
今後とも小ブログを宜しくお願い致します。


▲新潟交通 月潟 1990-9

2023年12月24日

炭鉱電車の春 その2

▲三井石炭鉱業ホハ202 原万田-大平 1981-3

さて、ようやく初見参の興奮から落ち着きを取り戻して来ました。
本線・玉名支線とも結構な間隔でやって来るので、あまり沿線をうろうろ出来ません。取りあえず時刻表を睨みながら、両線の「二兎」が捕まる分岐点近くに陣取ることにしました。

ここでロクサン客車の尻も忘れずに押さえておきます。
戦後の混乱冷めやらぬ当時から変わらない姿で走り続けるというのも驚くべきことですが、一般客を乗せない専用線という点が奏功したのでしょう。

▲いずれも原万田 1981-3

客車の合間に貨物も頻繁にやって来ました。
東芝戦時設計の45t機、ちょうど2灯化の過渡期にあったようです。




▲いずれも原万田-妙見 1981-3

Bロコが20m級客車を牽く姿は健気ですが、石炭満載のセナの入換えに比べればたやすいのでしょう、軽々と快走しているように見えました。

▲いずれも原万田-大平 1981-3


▲いずれも原万田-妙見 1981-3

もう一度玉名支線の31号を捉えて、ようやく場所を移動します。


▲いずれも原万田-大平 1981-3

原万田の隣、大平駅の近く。
小高い丘に上がってみると、荒尾の街が一望できました。
▲原万田-大平 1981-3

上のカットから振り返った所が大平駅。
これにてタイムアップ、釣果に大満足しながら三池を後にしました。


▲大平 1981-3

▲大平-宮内 1981-3

夢ウツツから冷めやらぬまま、ほんの一時だけ熊本電鉄を覗きます。
本日の上熊本支線の当番は旧南部のモハ120形。三池の客車に衝撃を受けた後では、無骨な電車も随分と大人しい姿に見えました。

そしてこの後は、高千穂合宿。
合間の自由時間は、日本一高い鉄橋として名を馳せた高千穂橋梁をのんびりと眺めました。

▲いずれも上熊本 1981-3

▲深角-天岩戸 1981-3

三池の強烈な印象は後々まで尾を引き、改めて三池港ヤードを始め全線くまなく探検することを誓いながら、九州の旅を続けました。しかしもとより気軽に訪問できる地ではなく、モタモタしているうちに時間だけが経過、再会なったのは10年以上経った92年冬のことでした。

そしてこの訪問後、程なくして三池鉱山自体が閉山、専用線も運命を共にします。夕張と共に殷賑を極めた我が国最大の炭鉱も、ついに歴史の幕を下ろしました。全線くまなく探検・・も見果てぬ夢に変わりました。

最後の運炭鉄道 →→→ その1 / その2 / その3

カラーはこちら →→→  その1 / その2


▲原万田 1981-3

2023年12月16日

炭鉱電車の春 その1

▲三井石炭鉱業31号+コハ106+ホハ202 原万田-大平 1981-3

貧乏学生時代、所属していた鉄研には「新入生歓迎合宿(5月)」「夏合宿(9月)」「卒業生追出し合宿(3月)」と年に3度も合宿がありました。
・・・といっても運動部のようなストイックな特訓をする訳ではなく、宿舎で大騒ぎをしたり車両基地の見学をするのが主目的。合宿地へは現地集合・現地解散でしたから、どこで撮影や乗り潰しをし、どんなルートで目的地に向かうか・・・これを考えるのが恒例の楽しみでした。

1981年早春、この時は九州・高千穂峡が集合場所。
九州ワイド周遊券を片手に、先ずは西へ向かう定番の「大垣夜行」で出発、叡電を皮切りに宇部・小野田線、西鉄と散々寄り道をしながら、鉄研メンバー一行は西鉄大宰府駅近くのユースホステルにしけ込みました。

▲旧型国電王国も風前の灯 雀田 1981-2

▲小型車ばかりだった宮地岳線にも変化の波 貝塚 1981-2

▲大宰府天満宮は雪模様 1981-3 

▲強烈なキャラの事業用車も棲息 二日市 1981-3

夕食後のうーむなミーティングをこなしていると、同宿者から「炭鉱電車」こと三井三池専用線の情報。専用線は鉄道誌でも滅多に紹介されない当時のこと、「衝撃的でしたよ」との報を聞いた鉄研一行は翌日の熊本電鉄訪問を急遽変更、一路三池へ向かうことになりました。

ユースで教えてもらった通り、荒尾駅から本線と玉名支線の分岐駅・原万田へ。
ホームにあった時刻表には両線とも1時間に1本程度と結構な本数が走っており、しばらくここで粘ることにました。

先ずは貨物列車で肩慣らしです。
末期は「セナ」ばかりになった貨車陣も、この頃はバラエティに富んでおり石炭車ばかりでなくタンクもつないでいました。
▲原万田 1981-3

主目的がやって来ました。
遠くからエンジ色の物体が近付づき、目の前でギギイと停まります。
初対面のBロコにロクサン形客車、そして得体の知れないコハ100形。あまりの衝撃にしばらく言葉も出ませんでした。どう表現すべきか分からず、とにかく凄いとしか言いようがありません。客車が機関車と同じエンジ色であることも、この時初めて知りました。

当時は鉄道誌に載る専用線といえば小さな投稿記事くらいでしたから、豆粒のようなモノクロ画像程度の予備知識しかなかったのでしょう。しかし情報の少ない時代だからこそ、初めて実物を眼にした時の高揚感は今とは比べ物になりません。



落ち着いて眺めるヒマはなく、あっという間に発車。
狂熱のあまりカメラを落としそうになりながら、どうにか3両とも抑えます。

先頭を務めるはジーメンス機の国産コピー・5号。
どこから見てもロクサンのホハ200形は、当初から客車として登場しています。払下げではなく省線と同じ仕様で自社発注するあたり、流石は大手鉱山会社です。

後ろのコハ100形もこれまた珍品で東芝製。
戦後間もなく、17m級木造客車の下回りに新造車体を組み合わせたと言われています。







▲いずれも原万田 1981-3

次は玉名支線の編成を狙います。
合間に石炭列車が次々とやって来ますから、退屈することは全くありません。石炭車は主力の「セナ(17t)」以外にも「セコ(15t)」と「セロ(16t)」があり形態もバラバラ、このような凸凹編成になりました。








玉名支線の列車が到着。
先ほど見送った本線列車と交換です。牽引機はL形機の自社改造といわれる31号機、客車の編成はこちらもホハ200形+コハ100形コンビでした。




▲いずれも原万田 1981-3

ここでようやく沿線に転戦です。
先ずは本線の列車を原万田駅の外れから。巨大な鉄塔を潜りながら行く姿は、三池の象徴的な風景です。


▲西原-原万田 1981-3

・・・とここで枚数を稼いでしまいました。
次回に続きます。
▲原万田 1981-3

2023年12月6日

四季の谷汲線・晩夏

▲名古屋鉄道モ755 北野畑-赤石 2000-8

2000年夏のこと、近江鉄道の「赤電」ことモハ1形が引退前の花道を飾るという情報。
近江鉄道とは縁が薄く、何かのついでに立ち寄った機会ばかりでしたが、マトモに丸1日を過ごしたのはこれが初めてでした。

赤電と洋館駅舎 →→→ その1 / その2


▲高宮 2000-8

▲電機の晩年にも一覗き 1984-7

さて彦根に直行する前に、もちろん「谷汲詣で」を組み入れます。
この1ヶ月前に来たばかりでしたが、先ずはお気に入りの長瀬の築堤から徘徊。前回青々としていた田圃は、既に刈り入れの時期を迎えていました。

この辺りはたった1駅ながら、田園風景あり山深い風景ありと変化に富んだ区間。炎暑の中、しばらく線路際を行ったり来たりしてみました。


▲いずれも長瀬-谷汲 2000-8

こちらもすっかり馴染みの場所になった北野畑-赤石。
崖にへばり付くように赤い電車が大きくカーブを描く姿は、深緑に映えました。

▲いずれも北野畑-赤石 2000-8

赤石付近の田圃も、そろそろ刈り入れの時期を迎えそうです。
▲いずれも赤石-長瀬 2000-8

最初の地点に戻り、このカットで1日目は終了。
店仕舞いをし、黒野駅近くの常宿(と言っても周辺で一番安いビジネスホテル)へ向かいます。支配人のオッサンとも顔馴染みになってしまい、入った途端にチェックインもせずキーを渡されるほどになっていました。

▲長瀬-谷汲 2000-8

明けて翌日。近江に向かう前の寸暇を惜しんで、こちらからスタートです。
▲更地 2000-8

最後はもう一度長瀬の築堤で。
背後の急斜面で何やら造成をしているようですが、この後どうなったのでしょうか。
▲長瀬-谷汲 2000-8

モ510の出動がないとどうにも単調ながら、今回も終了。廃線まであと1年ちょっとになりました。
▲長瀬-谷汲 2000-8