2024年2月18日

鋼体化車のワンダーランド・上信電鉄 その1


▲上信電鉄デハ21・デハニ2 高崎 1958-8

最近でこそ「ド派手な広告電車」「JR107系の牙城」といったイメージの上信電鉄、しかし1970年代までは無骨な鋼体化車が闊歩する魅力的な路線でした。

前歴は大別して電化開業時からの自社発注車に加え、東武デハ1形、国鉄車(買収国電含む)の三態という陣容で、いずれも大正時代の木造車。1951年~60年に新造車体に載せ替えられていきますが、種車と更新時期によって形態は様々で更に荷物合造車もあったりと、およそ同じ会社らしからぬバラエティさでした。

・・・という訳で、相変わらず人気のない上信線企画ながら、今回は手元の古い記録から鉄道少年時代の駄作スナップ、鋼体化車最晩年のモノクロ画像まで総動員してお送りしてみます。
▲デハ10+クハ22 南高崎-根小屋 1980-11

まずはこちら、デハ10形。
前身は東武名物5枚窓・デハ1形と信濃鉄道買収車で、1952-53年と戦後いち早く鋼体化されたグループです。

デハ11は、戦後間もなく入線した東武デハ3を1953年に鋼体化。
70年代始めから高崎の構内入換用となりますが、その後もロケに使われたり試験塗装の実験台にされたりで80年まで生き長らえます。下のカットは赤とクリームのツートン時代で、まだ第一線で活躍中でした。

▲高崎 1962-3 

こちらは電機代用で高崎の入換えに従事していた頃。
▲高崎 1975-7 

見てビックリの試験塗装。
この後戻されたのか、このまま廃車になったのか未だに分かりません。


▲高崎 1977-1

次はデハ10です。
前歴はデハ11と同じ東武デハ1形ながら、1962年に西武所沢工場で車体延長(16m→19m)の改造を受け、同形式とは思えません。最も大型であったため、晩年まで朝ラッシュ時に重宝していました。

▲高崎 1976-2


▲南高崎-根小屋 1980-11 

信濃鉄道の木造車・デハユニ2を出自とするデハ12。
買収国電を経てお輿入れするも、1970年とデハの中では最も早く引退しています。
▲高崎 1962-3

次はデハ20形です。
デハ20は1951年、戦災に遭った木造省電(デハ33500形)を叩き直した鋼体化車第1号。
といっても使われたのは台車と台枠だけで、鉄道省→鶴見臨港鉄道へ払下げ→鉄道省が再買収といった流転の末にやって来ました。

新製車体ながら戦前のようなゴツイ形状で、前照灯のツララ切り・裾の切込みなど厳めしい様相です。3両編成の中間に入ることが多く、この日は運良く区間運転の2連で前に出てきました。



▲いずれも高崎 1980-11

デハ20に遅れること7年、かなり洗練されたスタイルで登場したデハ21。こちらの前身は1925年製の自社発注車・デハニ1でした。

▲高崎 1962-3

▲高崎 1980-11 

デハ21は最晩年に高崎構内の入換え任務に従事していたようで、訪問する度に1両だけで違う位置に停まっていました。これまで見られなかった高崎方の前面が常時顔を出していましたが、1981年4月に引退。後任は後輩格のデハ22になりました。



▲いずれも高崎 上:1980-11 下:1981-2

当時の最新鋭・デハ200形に混じって第一線で活躍してきた更新車も、1976年に1000系が登場すると運用が減り始め、更に81年に250系・6000系が戦列に加わると淘汰に拍車がかかるようになります。

・・・次回に続きます。
▲高崎 1974-12

2 件のコメント:

  1. 雑誌の情報や鉄道ファンの興味は、国鉄と大手私鉄が大半だったので、自社発注の新製車や鋼体化車が主力の地方私鉄は、どうしても不人気でしたね(笑)。近隣の秩父鉄道や上毛電鉄も、地方私鉄標準型風の鋼体化車が多数存在しましたが、よく見ると各社ごとの違いが結構あるのが面白いです。

    上信電鉄の縞々模様の試験塗装は初めて見ました。目立つようにして、踏切事故対策も狙ったんでしょうか?

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  2. 緑の猫さん

    当時の雑誌は蒸機か国鉄特急ばかりで、大手私鉄は新車登場などでたまに記事になる程度、ローカル私鉄に至っては読者投稿コーナーに載るくらいでしたね。不人気な(笑)上毛や上信などはこれほど個性派揃いだったのに、愛好者に一瞥もされないのが大いに不満でしたが、かく言う私も当時は特急ばかり撮っていました。

    上信デハ11の試験塗装は何故こんな奇抜なのにしたのか、未だに不明です。2代目試験塗装・クハ20もこれまた奇妙なカラーで登場したくらいですから、適当にやった感ありです。

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