さて、勝田の次は日立電鉄を目指します。
予備知識がなかったのでどんなデンシャがいるかすら分かりませんが、地方私鉄の情報など僅かな時代、初対面は楽しみでもありました。
大甕では旧相模鉄道の電気式ディーゼルカー・モハ13形が停車中でした。
この後、仲間の3両と共に前面窓の桟がなくなったり(その後更にサッシ化やHゴム化)、オリジナルの前照灯はシールドビームやブタ鼻になったりと小変化を繰り返していきます。
こちらは曰くつきのモハ11形。
「工作が粗雑に過ぎ、注文主の営団からキャンセルされた」というのが通説でしたが、これについて「RMライブラリー64・日立電鉄の75年(ネコパブリッシング)」で興味深い考察がされています。
参考までに当時の塗装です。79年頃から黄色部分がオレンジに変更されていきました。
▲モハ11(同級生撮影) 大甕 1973-11
旧小田急のモハ1003。後年相鉄からも仲間がやってきて総勢10両の大所帯になります。
モハ11の向こうにはモハ16がくたびれた状態で留置中。
車内も荒れており、廃車と思いきやその後前面が全てHゴム化されて復活しました。
手前の広告看板が時代を感じさせます。
久慈浜に移動して車庫を覗きます。
点検中のモハ2210は旧加太電気鉄道(→南海加太線)デニホを出自とし、弘南鉄道を経てやってきました。仲間のモハ51と異なり、こちらは定山渓鉄道モハ100形の車体を合体させた代物。
クハ141(←院電ホデ6123)の廃車体。廃車当時の黄色+ベージュ塗装のままでした。
1928年製のワフ2。動かなくなって久しいようです。
構内外れにいた2両の付随車。
手前はサハ2801と思われますが、もう1両がどうも判別できません。
ここに来た主目的は旧院電ナデ6141のデワ101ですが、キョロキョロするも見当たりません。駅員さんに聞くと「随分前に大井工場へ行ったよ」とのこと。
断片情報しかないゆえ、前年に廃車になっていたとは露ほども知りませんでした。
ちょっとガッカリしながら大甕まで戻り、ED75牽引の客レに乗って帰途につきます。
この頃の勝田以北は客レのオンパレードでした。
さて、締めは当時の水戸駅前です。
橋上駅舎と複合ビルになった現在とは隔世の感ありで、これを撮った位置はどの辺りになるのかちょっと見当がつきません。
水戸駅に掲示された「~エック」の文字が懐かしい‥‥
返信削除それから、モハ13形はガソリンカーでなくディーゼルカーでした。
戦前は国鉄(鉄道省)をはじめ多くの鉄道会社はディーゼルエンジンを使いこなせずガソリンカーが主力でしたが、相模鉄道や神中鉄道は使いこなした数少ない鉄道会社でした。
電気式であったために容易に電車に改造できたことが幸いし長寿を全うできました。
三等急電さん
返信削除「エック」は言葉でしか知らないのですが、今の「びゅう」のようなものでしょうか。
「国盗り物語」も懐かしいです。
モハ13のご指摘ありがとうございます(修正しました)。
戦前の電気式ディーゼルというと、国鉄キハニ36450形くらいしか知りませんでした。
食パン型改造前の台形車体時代は魅力的でしたね。
はじめまして、Chitestuさん経由で参りましたCedarと申します。
返信削除日立電鉄は東京からいちばん近くて地方私鉄ムードが濃い電車でした。
私も『エック』に懐かしさ感じました。たしか『エコノミークーポン』の略称で、団体パッケージツアーも個人ばら売りのようなきっぷだったのでは?
Cedarさん
返信削除ご訪問ありがとうございます。
日立電鉄は早くからCTCやワンマンカーを採用しながら電車は戦前・戦中製のままといったアンバランスさが面白かったですね。時期によって微妙に更新されていきましたので、この後も何度か通いました。
エックとは「エコノミークーポン」だったのですね。
企画乗車券に宿泊券などをセットにしたような商品のイメージでしょうか。