2020年5月29日

長電1000形のこと その1

▲長野電鉄モハ1502 信濃川田 1992-11

長野電鉄1000形・1500形は戦後間もなく日車で誕生した省規格型。
大正から昭和初期のリベットゴツゴツ・・・といった精悍さはありませんが、クセのない端正なスタイルで好感が持てる電車でした。

こちらは1976年、1000形が本線で3連運用に入っていた頃のスナップです。
赤ガエルこと2500形の浸食前夜は、開業時からの生え抜き組に元東武デッカーと強者揃いでした。
▲いずれも須坂 1976-7

こちらはそれから4年後、本線運用が最終章に入る80年晩夏。
chitetsuさん率いる鉄研メンバーらと飲まず食わずで飯田線を撮り歩いた後、夕暮れ近い屋代に降り立つと、クハを従えたモハ1502が待っていました。
▲いずれも屋代 1980-9

この日徒党を組んだ鉄研メンバーは、松代温泉の国民宿舎に集団合宿。
当時初々しい豊頬の新入生だった管理人、若さに感けてどんな騒動を起こしたのか、はたまた何を食べたかなどは遠い彼方の記憶ですが、やたらぬるぬるした茶色い温泉の感触は未だに残っています。

この頃赤ガエルは最大勢力を占めており、長野線の主役も当然彼らに交代していました。
▲いずれも須坂 1980-9

さて集団合宿の乱痴気騒ぎの翌日は、何食わぬ顔で須坂車庫に屯するデンシャを覗いて回ります。先ずはこちら、長野線で最後の活躍するモハ1001ほか3連。
派生形式のモハ1010形(←モハニ1010←クハニ1060)。
前のドアは荷物室のあった跡でしょうか。
同じくこちらもクハニ1060形から改造のクハ1060形。
クハ1050形はモハ1000形を電装解除して生まれた形式です。
・・・少数民族だったこの3形式は同系ながらちょっとヤヤコシイ履歴ですね。
▲いずれも須坂 1980-9

・・・とここで枚数がいってしまいました。
次回に続きます。
▲いずれも信濃川田 1992-11

2 件のコメント:

  1. 須坂ゲーっとウェッイ駅という記憶の男2020年9月12日 7:55

    この頃、列車内で車掌さんがパチンパチンと車内券を発券しているのをつい思い浮かべてしまします。
    長電はこの頃、車内補充券の第2種券(駅名入鋏式)が①長野~湯田中・木島の黒印刷券と、②屋島線の青印刷券がありました。私はこの写真の頃1980年にようやく屋島線用を入手した思い出があります。

    さて、長電は古い切符売るようですね。
    既に利用できない切符を売るのかぁという気持ちもありますが、コロナ禍の苦しい中での企業努力と思った方が良いのでしょうか。。
     ↓
    https://www.nagaden-net.co.jp/info/goods/ticket/post-16.php

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  2. 東屋代あたりからゲーっとウェッイ兆候あるも須坂で最早限界だった男どの

    HN長過ぎですがな(きちんと修正しておきました)!!
    長電のわら半紙車内券、小生も屋代線モハ1003内で所望した覚えがあります。巨大なので大型時刻表に挟んでおかないと折れ曲がってしまう代物で、持ち帰るのに難渋したなあ。この頃は列車が単行だったせいか、車掌さんが太い地声で「次は○○~」と案内していました。

    期限切れの記念切符を定価で売るとはちょっとうーむな感じもしますが、それだけ台所事情が苦しいのでしょうか。ここは一つ100部ほどお求めになり、かつての贖罪(ホーム&線路を汚した)を果たさんことをお勧めします!

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