2017年1月20日

「くりでん」電車時代 その3

▲栗原電鉄ED351 石越 1976-3

ピンボケヤシカでめぐる1976年東北行、仙台市電に続いては栗原電鉄です。

仙台市電 →→ その1 / その2

1線突込みの石越駅の佇まいには驚きましたが、初対面のM153、ローカル私鉄にしては随分と大人しいスタイルに見えました。これに乗って若柳の車庫を目指します。
▲いずれも石越 1976-3

当時の塗色はグリーンとクリーム、前面の塗り分けも直線でした。1977年に西武からM17形(旧省電モハ50形)が転入すると同時に赤+クリームに変わります。

電機の方は何とも形容し難いブルー?一色。この日はガニ股電機ED20形は全機昼寝中で、旧東武日光軌道線・ED611のED351が動いていました。
 
巨大パンタが降りているのが残念ですが、ED20形のサイドビューと前面。
1955年の改軌に併せて、軽便規格の車体を強引に1067㎜仕様にした異様な風体、このアンバランスが堪りません。
 
西武の木造車を鋼体化したM181。この車だけは金太郎塗りでした。
▲いずれも若柳 1976-3

石越にはラッシュ用のC15が留置中。
後年は単行ばかりになって役割がなくなりますが、最後まで籍がありました。

旧武蔵野の木造ワフ。この頃は手入れも行き届いていました。
DBを名乗る移動機も機関車と同色です。
▲いずれも石越 1976-3
 
さてこれだけ撮るとUターンして今度は福島方面へ向かいます。岩手県境近くまでやってきて勿体ない話ですが、初の東北遠征で見たいものが山ほどありました。

まずはこちら、福島交通。
現在のホームは阿武隈急行と同居して狭苦しくなっていますが、この頃は上屋もなく開放的でした。やって来たのは当時の最新鋭ながら吊り掛け車の5300形。昇圧後は栗原電鉄へ移籍します。
 
5100形は斬新なデザインながらこちらも吊り掛け式です。
▲いずれも福島 1976-3
 
隣の曽根田まで乗ってみるも車庫内はガランドウ、1両もいません・・・この半年前に桜水に移転していたことや最古参・1200形の存在など知る由もなく、悄然と引き返してきました。

福島からは更に郡山を目指します。ED71が発車待ちでした。
▲福島 1976-3

郡山での目当てはこちら、磐越西線の主力ED77。
この頃の磐越西線の普通列車は客レばかりでした。
▲郡山 1976-3

1980年代の訪問記 →→ その1(細倉周辺) / その2(沢辺周辺)

▲M152 石越 1976-3

2 件のコメント:

  1. モハメイドペーパー2017年1月20日 23:43

     昔のくり電、こんな色だったのですね。石越のホーム部分だけコンクリート枕木になっているのはなぜなんだろうか。

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  2. モハメイドペーパーさん

    当時は知識もなかったので、M15を初めて見たときは「新潟交通と同じ電車だ」とがっかりした覚えがあります(苦笑)。この後西武からやってきたM17の影響を受けて赤・クリームになったと思われます。M17は色合いこそ違うものの塗分けが西武時代と同じままというのも興味深いです。

    石越のコンクリート枕木はコメントで初めて気がつきました。わざわざ敷いたとも思えず、線路がつながっていた国鉄からお古をもらったのでしょうか・・・?

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