2021年11月6日

新潟交通 雨のち晴れ その1


 ▲新潟交通モハ24 月潟 1998-10

県庁前の路面区間と燕付近の広い田圃。
1993年にこの二つがなくなると、新潟交通線には中之口川沿いの単調な風景だけが残ります。これで新潟通いも「打ち止め」と思いきやそうはならず、99年の廃線まで何度か訪れる機会がありました。

一緒に訪問できる蒲原鉄道の存在もありますが、やはり年季の入った駅や施設がそのまま残り、平凡な電車をカバーしていたからかも知れません。この時代、被写体にしたくなるような鉄道風景が減っていた事情もありました。
▲白根 1998-10

1998年秋のこと、例によってこの時も蒲原鉄道とのセット訪問です。
夜明けを待って最初に向かったのは木場駅。早朝だけ一人勤務のおばちゃん駅長がやって来る委託駅ながら、最後まで交換駅として機能する主要駅でした。

生憎の雨模様の中、先ず到着したのは朝2往復(うち1往復は東関屋-白根間)しか出番のないクハ46。6両いたクハ45形最後の1両で、今回の訪問では外せないデンシャでした。雨は降るわ暗いわですが、傘を差しつつの2台体制で危なっかしく構えます。

続いては日車車体モハの単行、そしてこれも朝にしかお目にかかれない異色のモハ2200形です。ワンマン化改造やフェンダー以外ほぼ小田急時代のままだった2200形も、この頃は前面ドアが非貫通になってかなり不細工になってしまいました。




▲いずれも木場 1998-10

交換待ちのモハ11をやり過ごしていると、主目的のクハ46が折り返して来ました。

小田急車体(クハ45形・モハ16形)は延べ7両が在籍。
いずれもハコは元デハ1400形ながら下廻りの出自や来歴は様々で、自社オリジナルから旧相模、伊那電、東武デハ1形といった陣容でした。路線縮小と共に数を減らし、この運用のために最後まで残ったのがクハ46でした。



▲いずれも木場 1998-10

残りの1本は七穂駅近くで構えます。
このあたりから空は見る見るうちに青一色、眩いばかりの朝日を浴びてやって来ました。

▲いずれ七穂-吉江 1998-10

・・・とここで枚数を稼いでしまいました。
次回に続きます。

▲木場 1998-10

▲白根 1998-10

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