2021年11月16日

新潟交通 雨のち晴れ その2

▲新潟交通モハ18 東関屋-東青山 1998-10

さて、続いて向かったのは白根駅。
東関屋と共に終日駅員のいる主要駅で、当駅止まりの電車も多く設定されています。

所在地が白根市と思いきや、遠く離れた「味方村大字白根」であることはよく知られた話。学校の地図帳などでもここに◎印が付いていましたから、長い間白根市の中心駅だとばかり思っていました。

他駅の佇まいを「大き目の民家」に例えるならば、こちらは頑丈そうな土蔵といった趣きでしょうか。いつから置いてあるのか、手洗所や年代モノの秤が彩りを添えます。



▲いずれも白根 1998-10

側線では本日の仕事を終えたクハ46が昼寝中。
朝2往復の任務をこなした後は、このまま翌未明の東関屋行まで出番がありません。


▲いずれも白根 1998-10

続いては終点の月潟へ。
元交換駅ながら、1993年の部分廃止後は1本突っ込みの棒線駅になってしまいました。
かつては貨物ホームや多くの側線があり、月潟村の玄関として機能していた名残が見られましたが、この頃は線路を剥がされた対向ホームだけが残っていました。

何故か駅舎屋根の庇が一際低く、頭がつかえてしまいそうです。

▲月潟 1998-10

さて、陽が沈むまで沿線に行ってみることにしますが、中之口川にぴたりと寄り添うように走る線路ですから、似たような前面アップ構図になってしまいます。
▲板井-七穂 1998-10

▲木場-板井 1998-10

陽のかけらが消える直前に焼鮒駅へ。ここでモハ24を捉えて打ち止めにしました。


▲焼鮒 1998-10

路面区間と燕付近以外は絵にならんと敬遠していたこの区間ですが、通うきっかけを作ったのはたまたま手にしたTMS誌の連載記事「新潟交通の気になる駅」でした。誌面に展開する駅舎や施設のカット、構内見取図は無知蒙昧の私を触発するに充分で、改めて「駅風景」を撮り直す火付け役になりました。

しかしその縁を作った筆頭格、六分駅は1993年の部分廃止で消え、残った各駅も無人化が加速、側線や施設も合理化されていきます。
木場や白根、月潟も絵になるけど、やはり規模といい各施設の配置のアンバイといい、六分に敵う駅はないなあ・・・と思わず無い物ねだりをしていました。


▲いずれも木場 1998-10

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