2024年6月23日

四季の谷汲線・早春~510の晴れ舞台



  ▲名古屋鉄道モ513+514 長瀬-谷汲 2001-2

毎月18日は谷汲山華厳寺の「命日」に当たり、参詣客用に列車が増発されていました。
モ750形2連やモ510形が出動することもあり、中でも2月はこの地の一大行事「豊年祈願祭」が開催され、その確率は一気に高まります。

最後の春を迎えた2001年2月18日は日曜日。
これを外す手はなく、モ510登場は必然だろうと勝手に納得して、朝一番の「のぞみ」を奮発です。まずは前日に小手試し、お馴染みになったポイントをあちこち徘徊しました。
▲更地-北野畑 2001-2

半月前に訪れた時は警報が出るほどの大雪でしたが、この日は麗かな春の陽気。
もしやと雪を期待するも、それどころか早くも田起こしが始まっています。同業者に会うこともなく、線路端をノンビリと歩きました。
▲いずれも赤石-長瀬 2001-2

▲長瀬-谷汲 2001-2

すっかり馴染みになった黒野の安宿に投宿した翌日は、待ちきれずに明け方から行動開始。朝一番の単行電車には既に「豊年号」なる愛称板が掲示されていました。
▲更地 2001-2

北野畑で構えていると、同業者が集まり出しました。
これはもう間違いないと彼らと一緒に待つことしばし、本命がやって来ました。こちらも「豊年まつり号」と書いた手作り感満載のサボを付けています。
▲北野畑 2001-2

この日はモ510が5往復も運行。
たまには変化球アングルも試してみたいところ、しかし結局無難なド定番ポイントに落ち着きました。


▲赤石-長瀬 2001-2


▲長瀬-谷汲 2001-2

▲赤石-長瀬 2001-2

午後からはモ750の2連も登場。
この頃モ750形は3両だけの慎ましい陣容で、残り1両は揖斐線で動いていますから予備は1両もいなかったことになります。
▲赤石-長瀬 2001-2

最後は根尾川の河原で見送り、満足顔で今回の旅を終えました。


▲北野畑-赤石 2001-2

谷汲へは滅多に顔を見せないモ510の出動とあって、さすがに沿線には同業者も多数。
しかし三々五々それぞれに構え、場所の取り合いも怒号が飛び交うことも「追っ駆け」のクルマに道を占拠されることもありませんでした。

廃止当日やその直前の殺伐とした騒ぎの渦中には身を置きたくない管理人。
それにしては珍しく、廃止の足音が近づいて来ても何度か出向くことになりましたが、それはそうした安心感のお蔭というか、「普段着」のまま生涯を終えようとする姿を見届けたいと思ったからかも知れません。
▲更地 2001-2

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