2016年9月21日
海老名検車区の片隅で
小田急海老名検車区は、当時近くに住んでいたこともあって毎週のように覗く機会がありました。本日は野暮用の道すがら、片隅にいた電機たちを瞥見したときの記録からお送りします。
先ずはこちら、1984年当時のED1012。
西武や岳南鉄道にも仲間がいた昭和初期の川造型で、2両在籍していました。この時は特別に許可を得て構内で撮らせてもらいましたが、貨物廃止直後で保管状態は上々です。隣には1930年・日車と東洋のコンビになる無骨なED1031がいました。こちらは1形式1両。
さてそれから6年後の姿。
ED1012はそのまま放置されていたようで、塗装は剥落しかなり荒廃しています。
隣にいるED1031は84年当時と変わりませんが、この後間もなく姿が見えなくなりました。新製車搬送用としてまだ現役でしたので、留置場所を移したのでしょうか。
この時期には経堂から移された教習車、デハ1406と荷電デニ1303が架線のない場所に置かれていました。既にデニは解体が始まっています。
・・・・更にそれから3年後。
あのまま朽ち果てたと思っていたED1012が再塗装され見事に復活しています。
ナンバーも大東急時代のデキ1012に変わっており、永久保存されると信じて疑いませんでした。
隣にはED1031に変わって1951年・三菱製のED1041が鎮座。
貨物輸送廃止後はED1031と共に新車搬入に活躍し、廃車は96年とされていますので一時的な留置と思われます。
デニは流石に姿を消しています。教習車デハ1406の方は若干荒れた感じはありますが変わらぬ位置にいました。
この後は記録しておらず、彼らがいつまで命脈を保ったか正確な時期までは分かりません。
デハ1406は1995年まで残っていた由、ED1012は再塗装後また荒れ始めそのまま解体となったようです。てっきり永久保存かと期待していた同機でしたが、叶いませんでした。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
すべて現役時代を見ている車両なんで懐かしい。デニ1300形は3連の新聞電車が一番決まっていました。まだその頃はデハでしたが。
返信削除モハメイドペーパーさん
返信削除かろうじてデニ1300の走りを見ただけの身としては羨ましい限りです。
弘南、岳南や新潟など各地へ譲渡された後は記録できましたが、別天地で馴染んでいるようでした。
電機の方は現役時代に間に合った筈ですが、後回しにしてるうちに廃止になってしまいました。この場所に留置されているのを知らなかったら見ないまま終わっていたと思います。
こんばんわ。
返信削除やっぱり一企業として、歴史的価値の高い古い電車を綺麗に保存していくのは大変なんでしょうね。
屋内の場所があれば話は別なのかもしれませんが。
つくずく今の保存会の方々には頭が上がらなくなります。
宵闇さん
返信削除この頃海老名では熊本電鉄から引き取ったモハ1形やSE車先頭車両が保管されていましたので、それで手一杯だったのでしょうね。ED1012などは再塗装までしたのにもったいない話ですが、途中で余裕がなくなったのでは・・などと勝手に想像しています。後年まで残ったモハ1406も残して欲しかったです。
片上や大夕張など、団体で保存活動しているところは応援したくなりますね。
経堂の教習車、現地で解体されていたものと思っていましたが、移動していたのですね!
返信削除海老名に行けば良かった〜。
それにしてもここまで残していて、勿体無いことしたものです。
chitetsuさん
返信削除教習車、私もてっきり経堂でお陀仏になったと思っていたので、最初見たときは本当に驚きました。
本線走れないから、トラックで搬入したんでしょうね。
電機も電車も分かりにくい位置に置いてあり、たまたま近所に住んでいたのが幸いしました。
場所や費用の余裕がなかったのだと思いますが、1両くらい残して欲しかったですね~!!