▲急行「妙高5号」 上野 1978-9
1970年代、長距離列車全盛期の上野。
18時を過ぎ、東北・北陸方面への夜行列車が続々と発車して行く一方で、長途の旅をようやく終えた上り列車も混じり最も華やぐ時間帯がやってきます。
▲いずれも上野 1978-9
24系へ世代交代した後も、19・20番線の光景は変わりません。
寝台特急の周りにはいつも人だかりがありました。
▲いずれも上野 1978-9
23時を回り徐々に落ち着いてくると、後に控えるのは福島や長野方面への短距離夜行でした。中でも、最も遅く発車する客車急行が23:58発・直江津行「妙高5号」。
8両編成ながら律儀にもロネ・ハネが3両連結されています。
たった5両の座席車ですが、登山シーズンも終わったこの日は1ボックスに1人程度で、ホームは閑散としていました。
▲いずれも上野 1978-9
「妙高」は多くの夜行列車が廃止された1982年のダイヤ改正後も、14系化され辛うじて残ります。その後は細々と命脈を保っていましたが長野新幹線開業に先立つ93年、上野駅から静かに姿を消して行きました。
撮られた翌月の改正で、東北線の普通客レが消えますね。
返信削除大抵は遅れていましたが、福島からの122レで赤羽→上野の旅を楽しんだものです。
夏場は窓を目いっぱい開けて風を取り込みますが、この時ばかりはアルミサッシの10系座席車が有難い存在でした。
12号線さん
返信削除「ゴーサントオ」は新幹線博多開業以来の大改正でしたね。
上野口20系特急の大幅減や絵入りヘッドサインの登場(実際には9月から出ていましたが)、列車号数の呼称変更など記憶に残る出来事が目白押しでした。
当時、東北線普通客レは3本残っていたかと思いますが乗ることはできず残念な思いをしました。一ノ関行123レなどという長距離もありましたね。10系客車も現役当時は避けていましたが、今となっては悔やまれます。
ちょっと前だったような気がします。こういう写真、私は撮れなかったなぁ。
返信削除モハメイドペーパーさん
返信削除夜行列車が続々と発車していく光景は当たり過ぎて気にも留めないうちに、いつの間にか消えてしまったという感じですね。当時、最後に出る客レだった妙高5号だけは何故か気になっていて、ちょっと変わったアングルで撮ろうと企んだのがこれらのカットでした。ただカメラを持ってウロウロしている姿を乗客から胡散くさそうに見られて、三脚も立てられずに手持ちでそそくさと撮って立ち去った、というオチがあります(苦笑)。