省規格型の大人しいスタイルながら癖のない好ましい電車でしたが、長野周辺地下化と共に河東線(→屋代線)へ集結、しかしここでも生息域を減らして最後はモハ1500形2両を残すのみとなっていました。
1992年晩秋のこと、たった2両でつましく走る1500形を追って信濃川田へ。
信濃川田は松代と共に河東線の中心駅で、朝夕は列車交換もありました。
2両の仲間のうちモハ1501は両側とも貫通式、1502は非貫通式で違う印象を受けます。
▲いずれも信濃川田-若穂 1992-11
信濃川田駅舎。
綿内、松代と共に晩年まで残った有人駅でしたが、この翌年には松代を残して無人化されてしまいます。
河東線は特に絶景を走る訳ではなく、電車も駅舎も当時としては特段珍しいということもありません。至極ありふれた風景ながら、管理人的にはこの信濃川田は「好きなローカル駅ベスト10」に入るでしょうか。
駅舎と一体の古いベンチ、木製のラッチ・待合所、構内踏切、そして地元客ばかりの乗降風景・・・目立たないながらこれらが按配よく利いていたせいかも知れません。
▲いずれも信濃川田 1992-11
晩秋の昼下がり、デンシャが1時間に1本の駅では時間がゆっくりと流れます。
時折聞こえてくる子どもらの会話が静寂を破りました。
▲いずれも信濃川田 1992-11