▲新潟交通クハ47ほか 白山前-東関屋 1990-9
定刻4:14、快速「ムーンライト」が東三条に到着。
長岡行夜行各停「733M」後継のこの列車は新潟通いを加速させた張本人で、早朝から撮り回りたい向きには格好の列車でした。
降り立った燕、眠い目をこすりながら留置中のデンシャを眺めていると、薄日が差してきて撮影スタートです。
▲クハ47 燕 1990-9
小田急車体のクハ45形・モハ16形は延べ7両が在籍。
車体はいずれもデハ1400形ながら出自来歴は様々で、自社オリジナルのクハから旧相模、伊那電、東武デハ1形といった陣容でした。
この日の主目的は早朝1往復だけ残っていた3連です。
先頭を務めるはクハ47、次いで45、モハ14という編成。クハ47は開業時の半鋼製車・クハ31がルーツで、1993年の部分廃止と共に引退したうちの1両でした。
やがて駅員さんが出てきて3連の組成を開始。クハの解結作業を眺められるのは、早朝の当駅ならではの光景です。
クハ49の前歴は旧相模のディーゼルカー・クハ33で、ワンマン改造を受けなかったせいか晩年は寝ていることが多くなりました。
クハ46は全線廃止まで生き残った最後の1両です。
▲いずれも燕 1990-9
さて、仕立て上げった3連に乗ってまずは東関屋へ、程なく折り返して来るところを狙います。やがて大きな体躯を揺らしながら、船のようにゆっくりと近付いて来ました。
▲いずれも白山前-東関屋 1990-9
宿願だった3連の「乗って撮って」は呆気なく果たしてしまいましたが、続いての登場はこれまた異色の旧小田急2200。フェンダーやワンマン化改造以外は車番も含めてほぼ原形のままですが、晩年は貫通扉が埋められるなどしてイメージが変わりました。
続いてやって来たのはモハ12。ここから単行デンシャばかりになります。
▲いずれも白山前-東関屋 1990-9
車に白い眼で見られながら、しかし堂々と闊歩する姿は痛快でしたが1992年4月、他区間に先駆けて姿を消しました。ライトレールが俎上に上がるにはまだ早い時代でした。
▲燕 1990-9