▲鉄道少年時代の収集物から 1970年代
今の中高年世代にとって寝台特急といえば何を置いても20系、特に代表格であるナハネフ22とカニ21が思い浮かぶのではないでしょうか。
一方で、Rの利いた優雅な彼らに比べ、切妻形のナハネフ21と23の人気は今一つ。
しかし、管理人にとってはカメラを持ち始めるずっと前、鉄道図鑑を食い入るように眺めていた頃から憧れを募らせる存在でした。
夜を徹して走り続けてきた長大編成列車は、ターミナル駅で一息つくや静かに分割される。初めて全貌を現したナハネフ21・23は、相方を駅に残し、殿の役目を果たしながら更に遠くに向けて走り出す・・・そうした情景を想像し、旅情というか旅の醍醐味のようなものを感じていたのかも知れません。
▲1975.3改正で「あさかぜ」「瀬戸」以外は引退 東京 1975-1
東京口で日常的にナハネフ21・23が前面に出ることは終にありませんでしたが、上野口では1975年3月のダイヤ改正あたりから潮目が変わってきます。
こちらは早暁に上ってくる「ゆうづる1号」。
75.3改正から僅か半年余りながら、ナハフ改造のナハネフ21が殿を務めました。
こうなると是が非でもその姿が見たくなり、父親に頼み込んで東北線小山までクルマで送らせ、夜行急行「いわて3号」で上野に馳せ参じた末に捉えたのがこのカットでした。
▲上野 1975-10
東京駅では遠い存在だった彼らでしたが、どういう運用の都合か一度だけ会う機会がありました。それがこちら、75.3ダイヤ大改正が迫る頃の上り「富士」。
残念ながらホーム先端ぎりぎりに停まってしまいこれが限界、後ろ髪を引かれる思いで次の目的地に向かった記憶が鮮明に残っています。
今だったら田町あたりで回送列車を捕まえて、なお且つ夕刻の下り列車まで粘るところ。
▲いずれも東京 1975-1
20系は一線から退いた後も急行や臨時列車に活路を見出し、長く命脈を保ちます。
記念すべき20系デビュー列車となった「あさかぜ」では、1978年始めに定期列車から撤退するも季節列車に度々駆り出され、90年までその姿を見ることができました。
▲東京 1979-5
大阪発の北陸特急「つるぎ」は1976年まで20系で運行。末期はナハネフ21が充当されることが多くなりました。
▲向日町運転所 1975-1
20系最後の定期特急は「あけぼの」。
ナハネフ22は一足先に姿を消してしまい、末期はナハネフ23が掉尾を飾ります。
大画面ガラスやRを多用した22はやはりメンテナンスが大変だったのか、この頃は滅多に見かけなくなりました。
特急から外れた後も急行「新星」「天の川」はそのまま残り、1982年の東北・上越新幹線開業まで延命。そしてこれが上野口最後の20系定期列車となりました。
▲尾久-赤羽 1980-9