2022年12月31日

良いお年をお迎え下さい

▲福井鉄道140形 田原町 1995-8

いつも小ブログをご覧頂き、ありがとうございます。
コロナ禍で定着したヘンテコな生活習慣はいつまで続くのか・・・と危惧ばかりが募る昨今、いかがお過ごしでしょうか。

昨年(逃げるように?)定年を迎えた管理人、しかし時間があり過ぎるというのはやはり曲者でした。余計なことばかり考えてしまったり、凡そ「力」とつくもの、例えば「気力」「知力」「体力」「精神力」「生命力」などは勿論、「人間力」まで低落基調になりつつあります。これはマズイ、と少し前から週1ペースでアルバイトを始めましたが、今後もペースを上げていこうかと思います。


▲名古屋鉄道モ754ほか 黒野 2001-1

最近になってようやく国もDX戦略を加速。
もはやデジタル抜きの生活など考えられませんし、管理人自身もデジタルの恩恵で写真、特にモノクロの奥深さを再認識できたワケですからあまり悪くも言えません。しかし、一方で人間的な思考は疎外され何でもかんでもデジタル的、言ってみれば「白か黒か」「0か100か」で判断されている気がしてなりません。

とは言え、「オンライン何たら」は今後も加速し、人と人との間合いというか空気感というか、「気」を感じられる機会は一層希薄になっていくのでしょう。

何はともあれ、2023年が実り多き年となりますように。
それでは皆様、良いお年をお迎え下さい!!





2022年12月28日

本日のインスタ投稿から(7)

 ▲関東鉄道キハ802 中妻 1989-4

関東鉄道水海道車庫を見学後は、ローカル色の濃い単線区間へ。
・・・としばらく走ったと思いきや、車窓から見えた木造駅舎が目について思わず2つ目で下車します。

こちらは歪んでしまった屋根を始め、凄まじい姿で佇立する中妻駅。
隣に社宅が併設され、社員の家族が委託駅長を勤めていました。駅舎が建て替わった後もしばらくこの制度はあったらしいですが、現在は無人化されています。





上りホームにも傾いだ待合所が危なっかしく残っています。
0形は国鉄20系を再生した当時の最新鋭で、現在の主力・2000系列はまだ登場前でした。



▲いずれも中妻 1989-4

下館方へ少し歩いて構えてみます。
しかし巨大広告がどうにも眼についてしまい、この列車だけで切り上げてしまいました。正面がちに狙うとかいくらでも工夫できたのに、今となっては勿体ないことをしています。
▲いずれも中妻-三妻 1989-4

2022年12月25日

佐野線の73・78系

 ▲東武鉄道7800系 佐野市 1973-12

東武佐野線で73・78系が動いていたのはほんの僅かな期間、恐らく1年そこそこでしょうか。1973年当時の主役は3050系とその前身・54系最後の6両でしたが、彼らに混じって平日朝の数往復だけは73・78系2連が入っていました。

しかしその年の暮れ、54系の後を追うように至極ひっそりと消えていきました。
これは想像ですが、途中駅のホーム有効長が足りずに2連しか入れなかったのと、本線系の第一線でまだまだ需要があったせいではないかと思います。

本日のカットはその僅かな運用が終焉を迎えた頃で、まだカメラを持ち始めたばかりの小学生でした。どこから聞きつけたのか、これは記録しておかねばと最寄り駅まで自転車を駆り、なけなしのフィルムを何枚も消費しています。




▲いずれも佐野市 1973-12

これで最後かも、とこの日は館林まで乗車。
館林駅の佇まいは現在とあまり変わっていませんが、其処彼処に電機や貨車が停まり、貨物列車がひっきりなしに行き交う賑やかな駅でした。

▲いずれも館林 1973-12



▲唯一撮ったカラーがこれでした 佐野市 1973-7

2022年12月18日

富士急と岳南 のんびり散歩

▲岳南鉄道ED291 比奈 1991-12

1990年代始め、世はバブル狂想曲の最終楽章。
しかし、社会に出て未だほんの数年、長時間かつ低賃金労働者の管理人にとっては彼岸の出来事でした。そんな世の風潮に嫌気が差していたのか、余裕がないにも拘らずこの時期は遠出から近場まで結構な頻度で撮影に出向いています。

1991年の暮れも押し詰まった頃、「富士急から硬券がなくなるらしいから、各駅を漁ってくる」という友人のクルマに便乗。ついでに撮影もさせてくれと懇願し、先ずは霜の降りたこちらの駅から行動開始です。

旧小田急2200形の5700形もすっかり板に付いた様子でした。富士急での形式は導入年度を元に付番しており、これは1982年(昭和57年)登場なので5700、というアンバイです。


▲いずれも田野倉-禾生 1991-12

陽が高くなってきたところで、本日の出動メンバーを一通り抑えます。
鮮烈なデビューを果たした5000形は富士急初の冷房車で、今後の自社発注車の方向性を示すかと期待されましたが後が続かず、2019年に引退しました。





▲いずれも東桂-三つ峠 1991-12

クルマですから次列車を気にすることなく、各駅で切符を漁りながら至極ノンビリと撮り回ります。

▲下吉田 1991-12

美しく整備されていた頃の3100形。
1956(昭和31)年登場ですから3100形という訳ですが、この時点で既に車齢35年が経過していました。97年に廃車後は中央線旧線(小淵沢-信濃境)跡というハンパな場所で荒れるがままに放置されていたようで、何でまたそんな場所に据え置いたのか理解に苦しみます。

開業時に登場した1形。
1952年に車体が載せ替えられて500形へ更新されると、旧車体は上田丸子電鉄へ渡りモハ4250形に再利用されました。別所線で余生を送っていたところへ富士急60周年記念事業の一環として白羽の矢が立ち、里帰りを果たしています。

1形を500形へ転生し、更に近代化改造を施したのが3600・3630形。
5700形に追われる形で撤退、3602と3603が最後まで事業用として残っていました。
工事用でしょうか、トとワフ2両がくたびれた風体を晒していました。

▲いずれも河口湖 1991-12

こちらは「ハイランドスケート号」として待機中でしょうか。


▲河口湖 1991-12

午後からは岳南鉄道へ転戦です。
週末で貨物はなく、こちらも切符を買い集めながらノンビリと眺めて回りました。

▲岳南江尾 1991-12

比奈駅のお決まりの位置にはED501が冬の陽を浴びながら停まっていました。
このED501と291は貨物列車なき後も、雨ざらしながら岳南富士岡で保管されています。

▲上:比奈 下:岳南富士岡 いずれも1991-12

戦前形デンシャはいないし、電機も昼寝中とあっては撮影意欲もさして湧かずにチョイ見だけで終わりました。しかし考えてみると、30年経った今も残っているのは置物と化した上の電機2両と富士急1形だけで、稼動はゼロ。ほかに5700形が笛吹市で保存されている由、果たしてどんな扱いをされているでしょうか。
▲田野倉 1991-12

2022年12月15日

本日のインスタ投稿から(6)

 ▲関東鉄道キハ751 水海道 1989-4

雑多なキハが闊歩していた関東鉄道常総線。
1970年代に戦前形が放逐され、その後も世代交代を繰り返してきたとはいえ、依然として1形式1両がまだまだ活躍していましたが、1987年に一大転機が訪れます。

大量に余剰となった国鉄キハ35が大挙して襲来し在来種を一掃、同時に慣れ親しんだツートン塗装も変更されました。車種は統一されましたが、趣味的にはちょとうーむな状態になり、これを機に足が遠のいてしまいました。




▲いずれも水海道 1989-4

2022年12月10日

本日のインスタ投稿から(5)

▲上信電鉄デキ2 千平-下仁田 1993-10

秋の一日のデキ詣で。
生憎と曇り空でしたが、ならばと普段なら逆光線になってしまうアングルから狙ってみます。淡いトップライトが機関士の表情を浮かび上がらせました。

こちらの訪問記はいずれ記事にまとめてみたいと思います。




▲上:千平-下仁田 下:吉井 いずれも1993-10

2022年12月8日

本日のインスタ投稿から(4)



 ▲相模鉄道7000系 ゆめが丘 2018-8

おそらく横浜市内で乗降客数が一番少ない駅であろう相鉄線「ゆめが丘」。

駅前に何もないこの駅も、2024年度に向けた再開発計画が最近になってプレス発表されました。畑と僅かな人家があるだけのノンビリした「異空間」でしたが、そういつまでも変わらないハズはなく、どこにでもあるような新興住宅地とショッピングセンターがセットになった駅前風景に変貌する時が来たようです。

畑の中に屹立する異形の駅も、こうしたツマラン風景に溶け込んでしまうのでしょう。



▲ゆめが丘 2018-8

7000系は同時期に引退した東急7700系に比べてあまり騒がれることもなく、静かな最期を迎えました。改めて見ると、胴巻きのような鉄板に離れたライトと、愛嬌のある顔をしています。



▲いずみ野 2018-8

2022年12月6日

神戸の強者がいた頃

 ▲神戸電鉄デ5 丸山-鵯越 1963-2

「新性能車ばかり」と長く敬遠してきた神戸電鉄ですが、その昔は無骨な古典デンシャの楽園でした。長い空白期間がやっと埋まったのは昨秋、デ1300形の復刻塗装車を記録しておこうと思い立った時でした( →→ こちら 

という訳で、今回は手元にある古い記録からこちらをアップしてみます。
いずれも新開地から三つ目の丸山駅でのスナップですが、図らずも昨年の訪問時に同じ位置で撮っていました。

こちらは冒頭・3枚目及び5枚目とほぼ同じ、鵯越方からのカット。
当時はまさに何もない山の中といった雰囲気で、地形が現在とずいぶん違います。ホームの配置や長さも変わっているように見えます。
▲全く同じ位置に立つのは無理でした 丸山-鵯越 2021-9

まずは神戸有馬電気鉄道が開業時に導入した、デ1形です。
昭和初期に日本車輌が各社に供給した標準設計車で、管理人が触れただけでも一畑デハ1・20形、上田モハ5250形、熊本モハ300形・・・と平成初期まで長くその姿を見ることができました。デ1形は1960年代前半に全車が800形へ更新され、最後の吊り掛け車として93年まで活躍しています。


デ1形の増備車、デ101形。
台車がゴツイ板台枠から釣合い梁のD16に変わった以外はデ1形とほぼ同じです。

10両の仲間が廃車されたりデ800形へ再生されたりする中、ただ1両入換車として余生を送っていた101号は、クラウドファンディングによる資金調達が奏功してスクラップを免れ、走行はできないものの再整備のうえ保管されています。




こちらは新塗装のデ103+101。
この頃はちょうど窓回り淡緑色・それ以外グレーの新装束に変更される過渡期にあったようです。窓回り部分はこの後お馴染みのオレンジになりました。


▲いずれも丸山 1963-2

上のカットと同地点、上りホーム新開地方の現在。木々が伸び地形も変貌しています。



▲いずれも丸山 2021-9

戦後の車両不足を解消すべく登場した省規格型のデ201形。
こちらは更新されることのないまま、3000系に追われる形で1974年までに全車が引退しています。





デ201形の後輩格、211形。
同じ省規格型ながら、201形と随分と印象が違います。正面のフラット化や貫通扉の設置、アンチクライマがなくなった以外は201形とほぼ同じ仕様です。




デビュー間もない頃の300系。
湘南顔に18m級全鋼車体、WNドライブとまさに当時のエースでした。新性能車の基本となった300系の設計思想は、この後登場する1000系列にも引き継がれていきます。

こちらは遠く神中鉄道からやって来たクハ131形です。
旧相模・神中のガソリン車やディーゼル車は使い勝手が良かったようで、大挙して嫁いだ上田丸子電鉄を始め、日立電鉄や豊橋鉄道、新潟交通などでも第二の職を得ました。


▲いずれも丸山 1963-2

今も関西各社には昭和デンシャが多く残り、長く続いた中小ローカル偏重時代の雪辱を少しでも晴らすべく、この1年は何度か通いました。しかし南海6000系や阪神青胴など確実に先の見えてきたデンシャも少なくなく、あと何度かは出向きたいところです。
▲鵯越-鈴蘭台 2021-9