鹿児島交通ハフ53 加世田 1983-3
かつて総延長68.4kmの路線を有し、彼の地の交通の中心だった南薩鉄道。
しかし相次いで2支線を廃止、更に1964年、地場のバス会社に買収されて鹿児島交通になったあたりから潮目が変ってきます。そしてこの頃から加世田機関区に休廃車が集まり始め、次第に落人の里のようになっていきました。
落武者の亡霊のように其処彼処に佇む廃車群を見に行くのはビミョーな傾向ですが、やはり趣味的には見たい誘惑に駆られる車ばかりでした。
どれから撮るか迷うほどですが、先ずは現役気動車から狙います。
6両のキハ100形のうち101はキニ、105がキユニ、残りがキハ。私鉄の郵便手荷物専用車は珍しい存在でしたが、既に活躍の機会は殆どありませんでした。
キハ106の車内。
さて次は木造客車です。
まずはこちら、1924年日車製・元北九州鉄道ハ43のハフ53。ダブルルーフ2軸車としては新しい部類です。
奥のホハニ59はご覧のとおりでした。こちらは完全に立ち腐れの感です。
・・・と、一番見たかったテフ25(1882年新橋工場製、旧省ユニ3996)が見当たりません。駅員さんに聞いてみると「この前の台風で車体が吹っ飛んでしまって」処分したとのこと、下回りだけ虚しく残っていたうちの1両かも知れません。
次は蒸機です。
5号機は1930年汽車会社製。
社線版C12タイプは延べ3両がいましたが、13・14号機が錆止めを塗られた体を晒していました。開業時からの独・ハノーバー製1号機がいた筈ですが見当たらず、庫の奥にいるようでした。
▲いずれも加世田 1983-3
解体費用がないのか、ハタマタいずれ蒸機復活を・・・と企図したはいいものの、頓挫して放置状態になったのかは分かりませんが、どれも崩落寸前で荒廃ぶりは事前情報以上でした。先ほどのテフ25の話も、強ち大袈裟ではないのかも知れません。
かの宮脇俊三さんは私鉄巡りの著書で「鉄道の墓場」と評していましたが、まさに朽ち果てるがままという表現がピッタリでした。
さて、ここから更に枕崎を目指すことにします。
・・・しつこくまだ続きます。
▲加世田 1983-3