▲小野田線クモハ42006 雀田-浜河内 1992-12
2021年4月25日
2021年4月11日
五城目駅のスナップから
手元にある過去の記録から、本日は五城目駅をアップしてみます。
車両はほとんど登場しませんので、ご承知置きのほどを・・・
秋田中央交通は現在でこそ県内の主要バス事業者ですが、1969年までは泥濘地の上をデワやEBが牽く珍奇な列車が闊歩する路線がありました。
1950年に電化していながら最後まで電車を持たず、非力なB型電機や年代物のデワが国鉄キハ04形改造のナハフを牽く、と図は他に例がないのではないでしょうか。
▲五城目駅全景 1967-5
冒頭に続くコマは現像ミスか天候のせいか、ひどくピンボケに加えてトーン崩壊がひどく修復には限界がありましたが、駅頭の風景はこんな雰囲気でした、というのは伝わってくるかと思います。
唯一アップで撮られた車両は風変わりなラッセル(?)だけでした。隣にいる元越後交通のEB111と手をつないでいるようです。
▲いずれも五城目 1967-5
さて、最初のコマ。
時は昭和40年代初頭、さすがに「ねんねこ半纏」ではありませんが、子守唄が聞こえてきそうです。管理人が子どもだった時代にはどこでも見られた風景、しかし現在は絶滅種です。
翻って現在、電車内を見渡すと子どもよりスマホに夢中(しかも夫婦揃って)なんてのが目に付きます。まあ、そういう自分も車内でFBやらインスタやらに投稿している訳ですから、同じ穴のムジナでありますが。
この駅舎ではこのような切符を買うことができたのですね。
果たして冒頭の親子は、どこまでの切符を手にして列車に乗ったのでしょうか。
2021年4月4日
小坂線の夏休み
▲小坂精錬小坂鉄道キハ2107 新沢-深沢 1994-8
1962年の改軌以来、DCもDLも新調されたメンバーだけになり、一気に地味な路線となった小坂線。三重連貨物を除けばこれといった目玉もなく、それとて国鉄形のDDにあとは片上線と同形のキハという陣容で、何とも物足りません。
小坂の鉱石を最短で運ぶための路線ですから途中の都邑を結ぶ目論見はなく、無人の山野を進むだけの沿線風景で、現地で人に会うことも殆どありませんでした。しかしヘソ曲がりの管理人はこの人跡稀な風景に惹かれ、何度か訪問する機会がありました。
旅客営業最期の日まであと1ヶ月と迫った1994年夏のこと、前回の訪問で山深い雰囲気に惹かれた、新沢駅からスタートすることにしました。
辺りには数軒の民家があるくらいで何もありませんが、それでも大館行の時刻が近付くとチラホラと乗客が集まってきました。
▲新沢 1994-8
振り返ったカット。
本数は少なく2時間に1本程度ですから、僅かな列車には勢い力が入ります。
▲雪沢温泉-新沢 1994-8
こちらは唯一の交換駅・茂内。
貨物が減ったとはいえ、常時駅員のいる中間駅でタブレットの受け渡しもしています。
この日は三重連を期待してのことでしたが、夏休みで貨物がウヤであることに全く気付かない体たらく。勇躍下車すると、向かいホームにはタキ+コキの超ミニ編成がいるだけでした。
せめて何か成果物を残そうと、手持無沙汰そうにしている駅員さんに頼んであれこれ切符を所望してみました。
駅員さんもやはり退屈だったのか事務室に入れてくれ、麦茶をご馳走になったりタブレットを撮らせてもらったりして、しばし休憩です。
続いては絶滅危惧種になっていた腕木信号機との組み合わせを狙います。
真夏の炎天下、やって来たのはDD13単機。貨物があれば三重連になるハズでした。
▲茂内-篭谷 1994-8
続いてやって来るキハを駅の反対側で。
▲深沢-茂内 1994-8
こちらは雪沢温泉駅近くです。
雪沢温泉は駅前に鉱泉と数軒の民家がある以外、田圃と山々しかありません。
生活の匂いはなく殺風景と言えばそれまでですが、この日本離れした風景が退屈な車両を補って余りある役割を果たしています。軽便時代はこの近くの小雪沢で機関車の交換をしており、ホーム跡も残っていると聞いてきましたが見つかりませんでした。
最後にこの駅を一覗きする頃には薄暗くなっていました。
この駅舎は現在も残っています。
このキハに乗って帰途に就くことにしました。
▲いずれも小坂 1994-8
旅客列車の終焉まであと1ヶ月と迫る中、少しは「葬式鉄」がいるだろうとの予想は外れ、この日も一人の同業者にも会いませんでした。
翌月、役目を終えたキハ2100は弘南鉄道黒石線で第二の職を得ることになります。
しかし同線は1998年春に廃止、ここでの活躍は僅か4年足らずでした。
▲上:一足早く廃止された花岡線と共に 下:キハ2107車内 1994-8
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