1985年の加茂線廃止以来、一気に「超・地味路線」になった蒲原鉄道。
これで足が遠のくと思いきや、結果的に加茂線存続時代より多く通う羽目に・・・しかしこれは駅舎や駅風景がまだまだ魅力的だった、新潟交通をセットで訪問していたからこそでした。
▲村松 1998-10
1998年秋のこと、この時も新潟交通で早暁から粘った翌日、ノンビリと蒲原へ。
沿線は五泉を出てしばらく住宅街を掠めたかと思うと、あとは道路沿いを一直線に走るだけの単調この上ない風景。あっという間に4.2kmの旅は終了です。
▲今泉-村松 1998-10
沿線では上のようなカットしか撮れませんから、あとは村松に向かうしかありません。
村松の風格ある駅舎は1980年に建て替えられましたが、ホームの風情は古いまま残っています。かつてはこの反対側、1番線から加茂線が発着していました。
▲いずれも村松 1998-10
こちらは全線健在の頃。
線路配置や周囲の建造物は流石に違いますが、ホームの佇まいは変わっていないように見えます。戦後名鉄からお輿入れした木造車・モハ21も綺麗に整備されていますね。
▲いずれも村松 1964-10
次は恒例、車庫を一覗きです。
この日の単行運用は終日モハ31が務めていました。モハ31は弟分の41と共に、中古品の機器と戦後新製した車体を組み合わせて誕生したデンシャで、廃線まで長く主役格でした。
戦前製ながら大人しいスタイルのモハ61は、1958年に西武からやって来た元武蔵野車。同時期に仲間4両が一畑電鉄クハ100形として嫁いでいます。
願わくば彼の出動を期待したかったところ、しかしこの日も出番はないようです。
後で知りましたが暖房の効きの良さを買われて最後まで残っていた由、冬季以外は昼寝を決め込む日々だったのかも知れません。
こちらも元武蔵野車のモハ71。
大正末期のゴツゴツした車体がいかにも頑丈そうなデハ320形一派で、同系車が近江や新潟、総武流山と各地へ散った、お馴染みの形式です。
最後の現役キハ04となったクハ10。
モハ61や71とコンビを組んで朝の2連に活躍していましたが、これが終わるとあとは暇を持て余す毎日でした。
1930年の全線開業時に登場したモハ12。
85年に加茂線が廃止になって以降、ずっとこの場所に据え置かれていました。結局全線廃線の日までここから動かなかったようで、そのまま朽ち果てるように最期を遂げたのでしょうか。
何度となく覗いてきた車庫ですが、ウナギの寝床を変形させたような、独特の形状の建屋は最後まで健在でした。
詰所に化けて余生を送っていたデ1の車体も、年々朽ちていくように感じました。このままお陀仏になるかと思いきや、ビックリの復活を遂げたのは周知のとおりです。
▲いずれも村松 1998-10
結局この日は秋の陽光に恵まれず、ドンヨリの一日。
あとは専ら帰途に就くだけになりましたが、帰りがけの五泉でスナップです。ホームの雰囲気自体は変わりませんが、真上の跨線橋がいかにも狭苦しい上に、何より構内全体がガランとしてめっぽう寂しくなりました。
▲五泉 1998-10
五泉を発車するとぐいっと90度カーブし、あとは一直線に村松に向かいます。
ここから1往復を見送って打ち止めとしました。
▲五泉-今泉 1998-10
途中駅はたった一つ、坦々と4kmを走ってお仕舞い、デンシャもこの上なく平凡。
これだけ刺激の少ない私鉄ローカル線というのは他にないでしょう。
それでもなお、廃線の日を迎えるまで何度か訪ねることになったのは「新潟交通のついでだから」「自分の縄張りが地方私鉄だから・・・」だけでは片付けらない気がします。加茂線の記憶が影のように頭から離れず、平凡なこの風景の上に無意識に重ねていたのかも知れません。
▲村松 1998-10