▲東海道本線サロ113形 品川 1980-4
急行グリーン車の象徴だった帯の廃止が決まったのは1978年のことでした。
少しでも安く済せようと貧乏旅を繰り返していた頃、現在と違い割引料金もなく、乗ることなど論外でまさに高嶺の花。特に長距離夜行のそれは特急よりも数段眩しく見え、一体どんな人種が乗っているのかと水族館の水槽のように窓に張り付いて眺めたものでした。
・・・という訳で、本日は「帯の消滅率50%」の頃の記録からお送りします。
上野から次々に発車していた夜行急行「八甲田」「津軽」「越前」「鳥海」「能登」「十和田」とおもな列車には必ず連結されていました。
いくらグリーンとは言え、キハ58での長距離は難儀だったのではないでしょうか。
こちらは常磐線のフリクエント急行「ときわ」。
▲いずれも上野 1980-4
山岳急行の象徴だった急行「アルプス」にも連結されています。
デビュー当初は非冷房車もあって悪名高かった房総急行にもありました。
「一つ奮発して」と一大決心してグリーン券を買ったも遠い昔、現在は割引料金・カードで気軽に、ですから有難味は随分と薄れました。
京阪神の新快速もAシートなる有料車連結がなされましたが、かつての快速G車復活に近いものありますね。
返信削除しかしながら首都圏の2FG車、一見二階からの眺望の良さに惹かれますが座席収容に苦心した上でのレイアウトとあっては詰め込み上等主義がここにも表れているのかと思う次第です。
グリーン車になる前の1等は料金ではなく運賃だったので、変更になる直前に東京~新橋の1等乗車券を買い、1駅だけサロ110に乗りました。
返信削除12号線さん
返信削除グリーン車の有難味というか、奮発して乗るという高揚感はなくなってしまいましたね。
2階建て車の上階は私も愛用するので(無論割引料金でですが・・・)あまり悪くは言えないのですが、確かに狭苦しいです。網棚がないのは致命的な気がしますね。
モハメイドペーパーさん
返信削除等級制時代の1等車は高嶺の花だったのではないでしょうか。
3等級時代は1と2、2と3とではそれぞれ2-3倍取られたと聞いています。後日入手したものですが、グリーン地に英字が入った1等切符は一際眩しく見え、乗っている乗客の姿も浮かんだものです。
バリバリの鉄ちゃんだった小・中・高の時代は
返信削除列車内の移動で通過するだけだったグリーン車。
自分がその乗客になるなんて考えた事もない高嶺の花でした。
人生で初めて乗ったのは仕事の出張で
たぶん誰か偉い人のお供だった気がします。
今はプライベートで気軽に
湘南新宿ラインでICカードをピッとしてますw
あぁ~、緑帯、懐かしいですね。皆様がお書きの通り、昔はグリーン車に乗るなんて想像すらできませんでしたね~笑
返信削除いつもながら本題と関係ないことですが、折り返し駅でホーム側ではない扉を開けている画像、超懐かしかったです笑
にぶろくさん
返信削除昔は通り抜けができましたから、私も乗客をジロジロ眺めながら通過したものです。
初のグリーン体験は同じく上の「お付き」で横浜-東京間を緊張しながら乗車、少しも楽しくありませんでした(笑)。そして現在は同じく湘南新宿をカードでピピッ・・・です(笑)。
ティーレマン・ファンさん
返信削除反対側のドア開放ですが、折り返しの清掃が始まる際「○○M降車終了、ドアを閉めて反対側を開けて下さい」という業務放送が上野駅で鳴り響いていたのを思い出しました。
これを撮った頃のグリーンはまさに高嶺の花で、現在と違い気軽に乗れませんでしたから乗客に後光が差して見えました(笑)。
はじめまして。信越本線沿線住民ですが…急行列車のグリーン車の帯懐かしいです。気動車急行「赤倉」のキロ28の朱色の窓の下のベージュ色部分の上に塗られた薄緑色の帯があまり目立たなかったけど、綺麗だと感じていたことが蘇ってきました。懐かしい画像、ありがとうございました
返信削除篠ノ井機関区 EF62 7さん
返信削除訪問ありがとうございます。
あの帯は鉄道少年ならずとも当時の乗客にとって憧れでした。ディーゼルは今考えると油煙臭いし振動も音も相当なものだったと思いますが、当時はグリーンに乗れるだけで夢見心地、そんなことは気にならなかったでしょうね。