▲静岡鉄道静岡市内線モハ59・57 1962-4
公営でない中小事業者による市内電車はかつて全国に散在し、関東近郊でも管理人憧憬の的だった伊豆箱根鉄道軌道線を筆頭に、各地でゲテモノぶりを発揮していました。
現在も広島・長崎・富山を始め元気な姿を見ることができますが、低床車やLRTに席巻され私鉄ならではの面白味には欠けます。
▲伊豆箱根軌道線の切符。実物を見てみたかった
・・・という訳で、今回は手元にある記録から、1962年に廃止された静鉄静岡市内線をアップしてみます。当線は国鉄駅前から安西に至る2.0キロの超ミニ路線ながら、県庁や市役所などがある中心街を走っていました。
市内線が走っていた頃の新静岡駅前。
鉄道線(静岡清水線)との連絡ホームがあり、段差もなく乗換え至便この上なしですね。駅頭には人が集まりバスも行き交い、街全体に活気があるように見えます。
▲いずれも新静岡駅前 1962-4
賑やかな静鉄駅前に比べて、いかにも小ぢんまりした国鉄駅前電停。
鈍重な印象の55形は1929年に登場、当初は単車でした。62年の当線廃線後も、全5両が清水市内線へ移っていきます。
▲静岡駅前 1962-4
こちらは国鉄駅前から少し歩いた場所でしょうか。国鉄駅前-静鉄駅前間は元々独立した路線で、最後まで単線のままでした。
▲いずれも静岡駅前-新静岡駅前 1962-4
一方の鉄道線はこれも生え抜きの小型車が主役でした。
何でも自社で製造・改造してしまう、静鉄の電車の来歴は複雑怪奇なのが多い。
全面のRが優雅ながら、窓の低さがアンバランスなモハ5形・15の前身は1937年日車製の静岡電気鉄道モハ305。完全な路面電車だったのを戦後改造、63年に引退しています。
モハ2のルーツは目蒲モハ1形。
こちらも戦後車体を新製して乗せ替え、最後は3両編成を組んでいました。
ニコニコ窓も愉快な21形は手持ち部品を組み合わせて造った、完全な自社製品です。
▲いずれも新静岡 1962-4
かつて線路が四方に延び、数多のゲテモノが棲息していた静鉄各線。
しかし当然これらには間に合わず、全国を撮り回る頃には静岡清水線だけになっていました。戦前形に乗ったり撮ったりできないのは如何にもツマランと思ったのか、訪問したのは未だ1984年夏の1回だけ。しかし在来車を追いやった1000形も先が見えて来たようで、再訪の機を窺う管理人です。
▲新静岡 1962-4