▲真岡鉄道C11325 下館二高前-折本 1999-1
日常的に旧型客車が走る大井川鉄道を除けば、蒸機列車には二の足を踏むのが常でした。
大型カメラ複数台に脚立の林立、二重三重の人山の中で石のようにじっと待つ覚悟が必要です。辺りをうろつきながらノンビリと撮りたい管理人には、その根性はありませんでした。
▲秩父鉄道C58363 影森-浦山口 1996-7
・・・という訳で蒸機の撮影には煙分中毒の友人をナビゲータに出かけるのが常套です。「蒸機にはモノクロ」が一応のスタンスで、フィルム時代は67判+トライXをメインに据え、余裕があれば35mmでリバーサルも、といった按配でした。
まずはこちら、最も多く出向いたのは秩父鉄道です。といっても関心はデキの牽く貨物の方に向いていました。
▲樋口-野上 1996-7
この頃、電車の主役はデハ1000形でしたが、国電カラーになる前のカラーリングはちょっと頂けませんでした。
▲いずれも黒谷-大野原 1996-7
秩父と共に、比較的お気軽に狙える真岡鉄道。
栃木へ帰省の折、子連れで立ち寄ることもありました。
▲市塙-笹原田 1999-1
▲天矢場-茂木 1999-1
こちらは上越線。
秩父から出張してきたC58とD51の競演があった日で、渋川近くのカーブで構えます。まだD51498に形式入りナンバーがついていた頃でした。
▲いずれも渋川-敷島 1994-1
▲八木原-渋川 1994-1
優先順位はやや低かった蒸機でしたが、函館本線のC62は例外。
例によってケムリ中毒に案内してもらい軽い気持ちで・・・のつもりがあまりの迫力に度肝を抜かれてしまい、小型機との圧倒的な格の違いを見せつけられた気がしました。
▲小沢-銀山 1993-6
「山線」での力行も去ることながら、変な飾りつけもなければ相方が43系客車というのにも惹かれ、何度か通うことになりました。こちらの記録はまた別の機会にアップしたいと思います。
▲倶知安-小沢 1993-6