現在でも「釧路コールマイン」などが健在ですが、最後まで残った「運炭鉄道」の名にふさわしい路線と言えば、やはり三井三池専用線でしょう。
時は1992年暮れ、三池港駅を訪問。
アポなしでは門前払いを食うのは目に見えていたので、数か月前からの策動開始でした。
連絡先を「民鉄要覧」で調べ、真意を伝えるべくつらつらと手紙を書き、構内立入りと沿線での撮影許可のお伺いをたてました。すると鉄道課長なる方から速攻で電話が入り「何を撮りたいのか?」「沿線のどこで?」と矢継ぎ早の質問、聞きしに勝るガードの固さです。あとはひたすら頼み込むしかありませんでした。
▲三池港本庫から2号・5号機を望む 1992-12
そんな曲折を経て事務所へ入ると、件の鉄道課長さん自らが出迎えてくれました。
お茶をご馳走になったり鉱山の現状などを聞いていると、190㎝はあろうかという屈強な構内員氏がズイと横に立ちます。鉄道課長さんはヘルメットを渡しながら「彼が案内するので指示に従って下さい。撮りたいものがあったら彼に言って下さい」と言いました。
こうして奇妙なコンビで広大な三池港ヤードを歩き回ることになりました。
▲20号機の牽く石炭列車 三池港-四ツ山 1992-12
まずはこちら、入換え作業のメインで動いていた1号機、最古参ながらピカピカです。
原型は1911年・ジーメンス製ですが調子は良いそうで、出動の機会が多いとのことでした。
次は事務所にほど近い場所にいた休車群を狙います。
ご存知Bロコは1-4号機がジーメンス製ですが、こちらは「ハト」をつないだ3号機。
4号機はZパンタを載せています。
こちらはかなりくたびれた様相の三菱製8号機。
撮る度に隣にいる190㎝に断わらなければならないのは気を遣いますが、こんな機会はもうないと67判とリバーサル2台体制で散々時間をかけます。寡黙ながら、こちらがモタモタやっていても嫌な顔もせず気長に待ってくれました。
しばらくすると電源車デ4を従えた9号機が入庫してきました。
この2両は鉱山廃止後も、三井東圧化学(現:三井化学)専用線入換機の任を得て現在も活躍中です。
▲いずれも三池港 1992-12
ここまでで大分フィルムを使ったな・・・と思ったも束の間、まだ序の口でした。
・・・次回に続きます。
▲三池港 1992-12