明治のマッチ箱から蒸機動車、戦災復旧車まで歴代の猛者らが改造を繰り返して現存・・・さぞかし屈強な顔触れだろうとのイメージには程遠く、実体は少し田舎臭い湘南型。
近江鉄道には明治・大正の古いデンシャの履歴が連綿と続く、独自の文化がありました。
主要機器の再利用から台枠だけリサイクル、果ては何一つ部品を使うことなく名前だけを引き継いで、その結果戸籍の上では100余歳・・・かように近江の車歴は複雑極まりなく、調べ出したら袋小路。
言ってみれば私鉄版「パンドラの箱」でした。
▲新八日市 2000-8
マトモに調査しているのは余程の鉄道史オタクでしょうし、あまり触れたくない世界かもです。しかし、フトした思いつきから手元に残る満身創痍のフィルム原版をデータ化・修復したのをきっかけに、改めて調べ直すことに。この切符と「私鉄車両めぐり」を参考書に、記事にまとめてみることにしました。
▲1973年から3年かけて発行。全10集46枚、「私鉄車両めぐり」よりも単純明解
先ずはこちら、1928年の電化開業時に登場したデハ1形。
前身は神戸姫路電気鉄道(→宇治川電気→山陽電鉄)が1923年に導入した1形ですが、車体だけが当時傘下だった近江へお輿入れ、手持ちの部品を組み合わせてデビューします。
大正末期の木造車体ながらモニタ屋根ではなく、緩いRを描いた前面や大き目の窓は何となく軽快な印象を受けます。1963年から自社お手製の湘南車体に載せ替えられた後も長く活躍しました。
こちらはお馴染み「近江形」湘南車体に載せ替え後のクハ1220+モハ3。
モハ1形のうち、湘南形に改造され最後まで残ったモハ2+クハ1222は往年の西武カラーに復元されて、引退前の花道を飾りました。やはりこれには鈍重なTR11系台車が似合いますが、末期には空気バネのFS40に履き替えて少しだけ垢抜けました。
▲いずれも高宮 2000-8
▲武佐-近江八幡 2000-8
6両の仲間はこの後部品を供給して500形に化ける者あり、1形での引退後も車籍だけ700形や800形に引き継ぐ者あり、はたまた1形のまま天寿を全うする者ありと、それぞれ辿る道が分かれました。
▲最終形態がこちら 高宮-尼子 2000-8
あまりにマニアックな内容で、既にお腹一杯な方もいると思います。
管理人自身、早くも気が遠くなってきました。
・・・が、次回に続きます。
管理人自身、早くも気が遠くなってきました。
・・・が、次回に続きます。