たまたま入手できた過去の記録は個人で秘蔵しても仕方がなく、「見て貰ってナンボ」の管理人。「一枚のスナップから」の一環として始めた本シリーズですが、少しでも多くアップしようと独立した記事で構成してみました。
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狭い砂利道・泥道を伸し歩くデンシャ。
1960年代まで全国各地で見られた風景ですが、沼尻鉄道や花巻電鉄などと共に、代表格の一角を占めていたのは福島交通軌道線でした。電車自体の魅力もさることながら、街の背景や施設との組み合わせも相俟って数多くの名作が生まれました。
撮影された時期は、巨大木橋が強烈な印象を放つ幸橋(瀬上荒町-河原町間)が流失し、代行バスが走っていました。
こちらは、福島方からやって来た電車が瀬上荒町電停を出て幸橋の手前で運行中止、乗客らがここからバスに乗り換えているシーンです。場所の特定に当たっては「地方私鉄 1960年代の回想」でお馴染みのkatsuさんから色々とアドバイスを頂きました。
こちらは名所だった長岡分岐点の風景。
目印だったパチンコ屋はまだ改築前で、普通の民家と変わりません。店内は一体どうなっていたのか気になります。
この停留所でも沢山の乗客が待ち受けていました。
スマホに夢中で、皆一様に首を垂れている現在の乗降風景と違い、ひどく生き生きと見えてくるのはヒイキ目でしょうか。
電車代行バスに乗り換えるシーンで犬がいますが、斯様に鎖でつながれてないのを昔は良く見た気がします。
返信削除野良ではないようですが、現在で言うところの地域猫ならぬ地域犬とでも申しましょうか。
別府鉄道が健在な頃、別府口駅のホームにも犬小屋あってそこを寝床にする個体もいたのでしょう。
住宅事情もありましょうが、外飼いのペットも近年見掛けなくなりました。
このカットの頃、子供時代はそこら中に野良犬・野良猫がいて放し飼いも普通でしたね。
返信削除その代わり道はどこも汚れて、ゴミ一つない現在とは隔世の感ありですが、そのせいで感染症が流行ったという話も聞きません。
この時代が全部良いとは思いませんが、失ったものの大きさを改めて感じてしまいました。
私もこの年の8月に長岡分岐点まで乗っています。すでに橋が落ちていて、代行バスに乗りましたが、普段は予備車になっているようなボロバスでした。パチンコやは中が土間でした。笹りんどうの看板、同じ位置で撮っています。
返信削除モハメイドペーパーさん
返信削除この素晴らしい路線(今から見れば、ですが)に乗車されたとは羨ましい限りです。
このボンネットバスも年季が入っているように見え、予備車だったのかも知れないですね。
長岡分岐点は見る角度によって全く違う風景に見え、その場に立ってみたくなります。
パチンコ屋さん、やはり中は土間でしたか!台は玉を一つ一つ入れるやつでしょうね。子供の頃、寺の縁日でやったことがあります(笑)。
これまでFacebookで何点か拝見してきましたが、こうして一連の作品を纏めると圧巻ですね。超素晴らしい写真ばかりですが、深みのあるモノクロトーンの仕上げが抜群で感動がより大きくなります。よくこんなトーンに仕上げられましたね。
返信削除どの写真を見てもごく自然にありのままの日常を撮影していて作者の素晴らしい感性を感じてきます。
katsuさん
返信削除ありがとうございます!
二枚目のカットの撮影場所について色々とアドバイス頂き、これがきっかけで他のカットも補正しまとめてアーカイブすることにしました。
画質の方はソフトに随分と助けられています。ただ原版の傷みがきつく、補正は時間ばかりかかってしまいました(笑)。
電車を大きく写すことが大勢だったこの時代に、こうした感性を持っていたこの撮影者は一体誰なのか、知りたくなりますね。