2021年1月9日

上野口の20系客車

▲カニ21「あけぼの2号」 上野 1978-9

上野から20系特急が消えたのは1980年秋。
「あさかぜ」を最後に東京口から引退したのに遅れること2年、最後の任務は青森からの「あけぼの3・4号」でした。20系の象徴的存在だったナハネフ22はこれに先立つ80年春に消滅、最後の殿の務めは切妻のナハネフ23が果たしていました。

分割編成用に登場した同形式は、「出雲」「富士」「はやぶさ」「あかつき」「彗星」などに組み込まれ、西日本でしかお目にかかれない憧れの存在でした。
20系末期には図らずも其処彼処で見られるようになった訳ですが、やはりRの利いた22の方は車齢も短かったのでしょうか。
▲尾久-上野 1980-9

▲上野 1978-9

田舎高校を卒業し上京して間もない頃、先ずは早朝の夜行列車群を抑えようと鶯谷へ。
ド定番アングルながら、京浜東北線ホームの先端で陣取っていると、EF58・65・80牽引列車が次々に上ってきました。

夜が明けた頃に顔を見せたのは仙台からの短距離ランナー・急行「新星」、続いては秋田から羽越線、上越線を延々と上って来た急行「天の川」です。


▲いずれも尾久-上野 1980-5

一時期は7往復を誇った常磐線の看板列車・「ゆうづる」もやって来ます。


▲上:尾久-上野 下:上野 いずれも1980-5

この日の本命、「あけぼの2号」。


旧型客車オンリーだった急行列車群も徐々に代替が進んでいた頃で、名列車「津軽」「八甲田」のハザは12系に替わっていました。


▲上・中:尾久-上野 下:上野 いずれも1980-5

この頃1往復だけ残っていた高崎線の客車列車、2321レ。
▲尾久-上野 1980-5

通勤車の主役はもちろん103系です。
▲鶯谷 1980-5

最後の「あけぼの」同様、「新星」や「天の川」の最後尾もナハネフ23が務めることが多くなっていました。
ナハネフ22に比べると人気がない23ですが、鉄道少年時代の憧れだったせいか管理人的には今でも最も好きな車両の一つで、しつこいくらいに追い駆けています。

▲いずれも上野 1980-5

20系の運用自体はその後も季節列車でしぶとく残り、最後は帯が消えビミョーな塗装になったりしながら1998年まで生き長らえました。

こちらは秋田への帰省列車、急行「おが」。
どうやって許可を貰ったのか忘れましたが、この時は尾久客貨車区にも潜り込んでいます。
白ラインが1本ないだけで随分と印象が代わることに気付きました。


▲いずれも尾久 1992-8

10 件のコメント:

  1. 私も全く同感です。
    小学3年の頃、初めて見たブルトレが20系「あかつき」だったので
    20系には特別な憧れを持っていました。
    (その後登場した14系、25系には愛着無し)
    ナハネフ22やカニも好きでしたが
    変則的とも言えるナハネフ23に
    なぜか惹かれるものがありました。
    関西では「つるぎ」や「日本海」の最後尾で使われ
    向日町運転所で何度か撮影しています。
    趣味が合いますね(笑)。

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  2. 20系客車。私がもっとも好きな車輌形式です。
    特に、個別形式ではナロネ20です。
    今の時代では当り前である、完全個室スタイルに憧れました。
    中学生当時、HO完成品は高値の花であったので、小高模型ペーパーキットにて編成を作りました。
    今でも、実家にて静態(動態?)保存中です。
    北マト

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  3. モハメイドペーパー2021年1月9日 13:52

     今考えれば、冷房が付いただけの狭い寝台に「走るホテル」はないだろうと思いますが、床構造の違いから車内の静粛性は24系なんかより優れています。ジョイント音もピンピン響かず、音量としては変わらなくても耳障りな感じがしなかったですね。

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  4. ティーレマン・ファン2021年1月9日 14:46

    20系客車、いいですねぇ~、私も大好きです!!
    特に、ナハネフ22とカニやカヤのあの独特の丸みが大好きでした!!

    しかし、ゴメンナサイ、ナハネフ23だけは、、、何というか、見てはいけない部分を見てしまったような妙な恥ずかしさがあり、ちょっと苦手です、スミマセン、、、
    でも、人気あるんですね笑

    それから、上越型のEF58がホントにカッコイイです!!
    両毛線や上越線、高崎線がホームグランドだった自分にとって、ひさしの着いていないEF58は何か足らないような気がして、こちらもちょっと苦手だったりします。

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  5. にぶろくさん

    何を隠そう私の一番好きな列車は「大窓のEF58+20系」です!
    その編成美はオリエント急行に勝るとも劣らず(笑)、鉄道ファン誌で宮原区牽引「あかつき」「彗星」を見ながら涎を垂らしていました。

    70年頃だったか、同誌の表紙に青井岳で交換する「彗星」が登場し、下りがナハネフ23、上りがDF50(勿論マーク付)でした。この辺りが同形式との出会いだったかと思います。「つるぎ」「日本海」の運用は50-3改正直前の頃にありましたね。西日本の20系には本当に憧れます。

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  6. 北マトさん

    我々世代にとって、20系は幼少の頃から鉄道図鑑で馴染んでいる憧れの存在かもですね。
    小6の時に初めて出向いた東京駅で「あさかぜ」を自分で撮り、これが20系との出会いでした。
    それ以来、東京・上野発着の20系全列車をカニ側&ナハネフ側ともコンプリートを目指し見事達成(笑)・・・といっても駄作スナップばかりですが。24系以降にはこれ程の情熱はありません。
    このきっかけを作った思い出の「あさかぜ」、当時はナロネ・ナロ・ナシが組み込まれた超豪華編成でした。

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  7. モハメイドペーパーさん

    58年に20系が登場した時は、旧客のマイネ・マロネより居住性は劣るとしてもあらゆる面から衝撃的だったと思います。ただでさえ寝台車が高嶺の花の時代に、新型に乗るなんてことになればもう議員か名士くらいしか叶わなかったでしょうね(笑)。

    20系は急行時代も含めてついに乗れませんでしたが、24系より静かだったのですか。体験したかったなあ。

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  8. ティーレマン・ファンさん

    ナハネフ22は20系の顔というか象徴ですから、その感覚は正常です(笑)。
    勿論22も好きですが、同じように切妻も好きなのは東京駅で中間につながれた「富士」「はやぶさ」「出雲」を見て全貌を見たいと憧憬を募らせていったせいかも知れません。見てはいけない部分を渇望しておりましたが、末期は首都圏で普通に見られるようになり、羞恥心が薄れました(笑)。

    東日本のEF58はやはり寒冷地仕様が一押しですね。小窓ツララなし+Hゴム機はやはり私もうーむです。今言ったら贅沢な選択ですけど。

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  9. 遅ればせながら、あけましておめでとうございます。尾久の20系見ると清掃バイトを思い出します。あの時は撮り放題だったので、もっとこの形式も撮っておけば良かったのに、一枚も残っていません。。

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  10. Chitetsuさん

    どうも、今年も宜しくお願いします!
    私も上野駅日食のバイトで毎日通っていながら、当時のスナップは皆無という体たらくでした。
    コンコースにずらりとぶら下がる木の札、10系寝台車の乗降、立ち食い蕎麦スタンド、帰省客の行列・・・と残したかった風景は数知れずです。「ISO1600のフィルムを装填したカメラ+小型三脚を持って通いなさい」と当時の自分を叱ってやりたいです(笑)。当然のようにそこにある風景を記録する難しさを改めて感じますね~

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