2024年3月22日

1955年 福井の夏

▲福井鉄道モハ12 福井駅前 1955-8

手元の古い記録から、本日は遠い日の福井鉄道と京福電鉄をアップしてみます。
時は1955(昭和30)年、まだ戦後の匂い冷めやらぬ頃で、大正・昭和初期の強者らが第一線で闊歩していた時代でした。

先ずはこちら、福鉄南越線のモハ81です。
前身は大正生まれの南海タマゴ形・電5形で、この翌年に新造車体に載せ替えられます。その後は連接車化、更には冷房化や台車の交換など新車に近い改造を受けて2006年まで長命を保ちました。
▲岡本新 1955-8

福井駅前電停のモハ61。
右書きの切符売場案内や「オリヂナルパーマネント」の看板が泣かせます。光の具合からして夏の日没前の撮影でしょうか。

当時は福武線に加え鯖浦線乗り入れ列車、田原町までの市内ローカルが縦列停車し、これらが次々に発車していく壮観なシーンが日々見られました。モハ61は1933年、市内線用としてデビューした10m強の超小型車で、後に連接車・モハ160形として似ても似つかぬ姿に生まれ変わります。
▲福井駅前 1955-8



▲こちらは転生後の姿 裁判所前-田原町 1995-8

上のカットにある売場では「市内均一乗車券」のやり取りもあったのでしょう。


▲硬券と軟券が混在していた

20年後の福井駅前。やはり高い建造物が目立ちます。
管理人世代にとっては馴染み深い電停ですが、今はこれすらも遠い過去の風景になりました。
▲福井駅前 1978-4

武生新を発車したモハ12+31。
モハ12は開業間もない1925年に登場した木造車で、福武線の主として長く過ごした後、晩年は兄貴分のモハ1と共にニセスチール化され、鯖浦線-市内直通列車を務めました。

モハ31は元鶴見臨港軌道線のモハ20形。
早くも1940年代に全2両が揃って福鉄入りし、小型で使い安かったのか福武線から退いた後も鯖浦線や南越線で活躍します。


▲いずれも武生新 1955-8
             
続いては京福電鉄です。
車両もさることながら、勤め帰りと思しきカンカン帽のおじさん、おめかしした女の子、煙草を燻らす車掌、ゲタ履きの学生らに時代を感じます。

ホデハ301形は池上電鉄の発注車で、東急が省規格形や国鉄車の割当てを受けた見返りとして、戦後間もなく4両がやって来ました。他の仲間は庄内交通や静岡鉄道に嫁いでいます。

面妖なボウコレクター(Yゲル)を背負ったホデハ101は永平寺鉄道出身。
この頃の京福は合併前の京都電燈・三国芦原電鉄・丸岡鉄道そして永平寺鉄道それぞれが発注した各車が錯綜、これに木造のホサハや珍奇な電機たちも加えると「ゲテモノ推し」の管理人にとってはまさに夢のような世界でした。
▲いずれも西長田 1955-8

ハーフ版のポジが手元にありましたので、こちらもお目にかけましょう。
ホデハ102も101と同じ旧永平寺鉄道ながら、こちらは昭和初期の「日車標準型」で全国に仲間が棲息していました。京福でも旧京都電燈・ホデハ211形や旧三国芦原電鉄・ホデハ11形と、各社がそれぞれ同系車を導入しています。



▲上:金津 下:三国港 いずれも1960年

▲武生新 1978-4

6 件のコメント:

  1. 南海タマゴ型は南越線村国駅で廃車体が待合室に利用されていましたね。
    ボロボロでしたが南越線の130形よりも魅力的でした。
    ところで先日NHKBSで放送された「男はつらいよ柴又慕情」は
    尾小屋鉄道金平駅でキハ2に乗車する寅さんのシーンや、京福電鉄東古市駅で吉永小百合がホデハ11に乗るシーンがあって感涙モノでした(^^;

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  2. にぶろくさん

    南越線の晩年は130形が行ったり来たりで、電車改造客車もいなかったので魅力を感じなかったのか、訪問しないまま終わりました。社武生・五分市・福武口の駅風景など写真ネタはテンコ盛りだったのに、当時の自分を叱ってやりたいです。柴又慕情では京善も登場しましたね。寅さんに限らずですが、出演者に鉄オタの要素が少しでもあると乗降シーンも活写されたんだろうなあと余計なお世話を焼いてしまいます。

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  3. 古い電車の趣も結構なものですが、小生はつい5~6枚目の切符類に目が向いてしまいます。
    南越線廃止(S56)目前の頃に出向き、福武・南越全駅対応可な(黄色の)車内片道券を乗車記念に入手し喜んでおりましたが、当時は福井市内のみに対応した車内券も常備していたとは知らず後で悔しい思いをした。
    特に緑色の福井市内均一の車内券は綺麗だなと思います。。。涎ものです!

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  4. maru-haどの


    今回は見せびらかしコーナーを設けました!
    南越線、電車がツマランなどと言っていないでやはり行くべきでした。
    それは兎も角、終活の一環として貯まりに貯まった紙切れをどうしようかと思案する中、改めて眺めるとやっぱり手放すのが惜しくなります。

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  5. 1955年時点の福井鉄道は、尾灯が1個のみですっきりしていますが、中小型の車体に、前面排障器、昇降ステップ、手すりが取付られて賑やかですね。あの昇降ステップの動作や乗り降りは、どこか人間の好奇心をくすぐるものがあります(笑)。モハ160形は出自不明に見える改造連接車でしたが、車体ごとに通風器がお椀型とガーランド型に分かれていたのは、初めて知りました。

    その後も、名古屋地下鉄や岐阜市内線の車両転入に施設の低床化、えちぜん鉄道乗り入れなど、状況次第で何でもありなのが、福井鉄道の面白さかもしれないですね。

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  6. 緑の猫さん

    福鉄は出自も経歴も違う電車をくっ付けて連接車を仕立てる文化というか職人技がありますから、160形のような電車も生まれたのでしょうね。大型の木造車にフェンダーや昇降ステップがついていると言うのも、この地ならではの風景でした。現在は「大型車が路面に乗り入れる」から、「路面電車が郊外に乗り入れる」路線に180度変貌しましたね。

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