2024年5月18日

早春の塩田平

▲上田交通モハ5253 下之郷-中塩田 1981-3

1980年代初頭は旧型国電の淘汰が急加速した時期で、仙石線・身延線・大糸線・宇部線・福塩線・小野田線・可部線・・・と世代交代が一気に進んだ、まさに「国電端境期」。
時同じくして旧型電機も終末期に差し掛かっており、当時のファンはこの両者を追いかけるのに東奔西走、小遣いとエネルギーを使い果たした方も多いでしょう。

ご他聞に漏れず、管理人も周遊券を駆使してあちこちに出没。
1981年の早春、期末試験も終わって解放感この上ない貧乏学生は、「信州ワイド周遊券」片手に身延線や大糸線を撮り回っていました。宿に泊まる資金もなかったですから、夜行急行で折り返しワザを連日強行しながらの野性味溢れる撮影行でした。



▲いずれも安曇沓掛-信濃常盤 1981-3

しかし、ローカル私鉄訪問ももちろん忘れた訳ではありません。
旧型国電詣での合間、長電や松本電鉄などどれにしようか迷いましたが、やはり優先度が高いのは別所線です。小学生時代から都合3度目の訪問で、上田原以遠まで乗車するのは今回が初めてでした。

▲いずれも上田 1981-3

先ずは車庫を覗きます。
前回はいなかった長電からのお輿入れ車もいました。モハ604はこの後モハ5271に生まれ変わります。

▲いずれも上田原 1981-3

1986年の昇圧まで残った廃車体。
信濃鉄道出自のクハ261(初代)は工作室に使われていましたが、中にはどんな道具が置いてあったのでしょうか。元善光寺白馬電鉄のモハ3121の車内には、廃線になった丸子線や真田傍陽線の記念品や切符類が保管されていたようですが、今だったらナラズ者に根こそぎ持ち去られてしまいそうですね。


▲いずれも上田原 1981-3

車庫を辞した後は沿線撮影に転戦。
車窓から見えた下之郷-中塩田の風景で即決、慌てて下車します。
▲中塩田 1981-3

下之郷に向かって線路際を歩きながら、のんびり撮り歩きます。本日の単行当番はモハ5253と長電OBの5261。大糸線と違って同業者に会うこともありませんでした。



▲いずれも下之郷-中塩田 1981-3

別所温泉駅。
元東急のサハ62がポツンと置かれていました。


▲別所温泉 1981-3

線路際をてくてく歩いていると高台に道路標識が見え、ならばあそこから狙える筈と昇ってみました。今はこの辺りも住宅が建て込んで眺望が利かなくなっています。


▲いずれも八木沢-別所温泉 1981-3

この時のルートは東京発の「大垣夜行」を富士で降り、身延線→大糸線2日間→別所線→大糸線→身延線→富士から東海道線経由で帰京という強行軍。

宿には一泊もせず、日が暮れると周遊エリアの路線を乗り回し、あとは翌朝まで夜行急行「アルプス」「きそ」「信州」での折り返しで時間を潰すという、狂気の沙汰としか言いようのない旅程でした。

もとより周遊エリアの狭い信州ワイド周遊券では夜行に乗ったと思いきや、落ち着いく間もなく折り返し駅に着いてしまい、寒風に晒されながら延々と逆方向の列車を待たなければなりませんでした。

▲上田原 1981-3


▲北松本 1981-3

2 件のコメント:

  1. 別所線は上田駅の撮影が便利だったので、上田原や別所温泉まで足を延ばした撮影者は、意外と少なかったかもしれないですね(笑)。行き止まりの別所温泉駅の、ぶら下がりサハの増解結の様子を、実際に見てみたかったですが、結局見れずじまいだったのは残念です。上田原の構内は、おもちゃ箱みたいに何でもありましたが、信濃鉄道の電車の廃車体が、最終的に車庫の移転まで残っていたのは驚きでした。

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  2. 緑の猫さん

    別所温泉でのサハ入換え作業は見物だったそうですが、この時はそれを見る余裕もなく取って返してしまい後々まで後悔する破目になりました。東急からクハ290が来てからはクハ290・251+電車というパターンが定着しサハはお役御免になりましたね。

    上田原の電車区はもう凄まじいとしか言いようのない場所で、そこいら中に部品始め怪しい物体が転がっていてまさに魔境でした。信濃の廃車体は倉庫ではなく工作室として常時使用していたので、昇圧時まで残れたのでしょうね。

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