▲南海電鉄1521系 和歌山市 1988-1
それまで見向きもしなかった「失敗作」にデジタルの恩恵で光が当たるようになった、というエピソードはしつこく記事にしてきましたが、今回はリバーサルフィルムの「没コマ」からの救済編をお送りしてみます。
10年前、手始めにと初めてデータ化したフィルムは1コマごとに切り離されたリバーサル(ポジ)。カラーネガやモノクロのように反転する必要もなし、デジカメで複写してトーンや色調を少々調整すれば一丁上がりという按配で、初心者に敷居が低かった。
しかしまだ何も分からぬ入門者でしたから、デンシャがやたら小さく写っていたり極端な露出不足は除外し、お気に入りのカットだけを選抜。データ化に慣れてくると大抵の没作品が画像ソフトで救済できることが判明し、それまでスルーしてきたコマを全て見直すことになりました。
▲こちらも超露出アンダーから蘇生 西野町 1987-3
まずはこちら、1988年正月の阪堺電車。
モ160形は全車が健在で120形や150形も第一線で闊歩していましたが、その大半はド派手な広告電車になっていました。浜寺駅前電停の隣にあった酒屋は姿を消し、今は小ざっぱりしています。
▲上:住吉 中・下:浜寺駅前 いずれも1988-1
1993年に廃止になった南海天王寺支線の今池町。
上を走る阪堺電車の橋桁の銘板には「明治44年 横川橋梁製作所」とあります。
小さな駅事務室は塞がれており、出札口跡には鉄格子が嵌めてありました。今よりも数段危ない街だった今池界隈をもう少し歩き回りたい衝動に駆られましたが、決行していたら五体満足で帰れなかったかも知れないですね。
▲今池町 1988-1
社会人になって間もない頃、鉄研時代の同窓生と出向いた栗原電鉄。
ちょうど細倉鉱山の閉山を控えた頃で、ガニマタ電機ED20形が最後の活躍をしていました。
▲鶯沢-細倉 1987-2
オリジナルでは何と言うこともないカットも、モノクロに変換しコントラストやらトーンやらを少々補正してみると別物に変身します。リバーサルをモノクロに作り変えるなんて、銀塩時代では考えられない処理でした。
▲いずれも細倉 1987-2
細倉駅近くにあった小高い丘から。
鉱山住宅と思しき家々から、まだ人の息吹が感じ取れました。今はもう根こそぎ消えているでしょう。
▲細倉付近 1987-2
鉄道少年時代から通った上田交通。
「丸窓」時代最後の訪問は、昇圧を2週間後に控えた秋でした。
▲上:別所温泉 中:八木沢-別所温泉 下:下之郷 いずれも1986-9
旧型時代の弘南鉄道は、西の琴電と双璧をなす東の「電車博物館」。
一大決心をしないと行けない場所柄ながら、若い時分は急行「津軽」を、自分で稼げるようになると寝台特急「はくつる」を愛用して何度も訪問した路線でした。3枚目、背景に工場が写り込んだカットはあまりにも殺風景で長い間スルーしてきましたが、モノクロに変換すると幾分か見える画になりました。
▲上:津軽大沢 中:小栗山 下:新石川-津軽大沢 いずれも1986-8
弘南鉄道の翌日は、花輪線初乗車。
高原の風を浴びながら、この日は龍ケ森から荒屋新町までのんびりと撮り歩きました。今とは違って、爽やかな夏の一日でした。
▲上:荒屋新町-小屋の畑 下:田山-横間 いずれも1986-8
数分の狭間に、窓を開けて駅弁屋さんを呼び止める風景も今や絶滅危惧種。
信越線・横川を始め、何度となく眼にしてきたこうした点景も、もっと記録しておくべきでした。
▲新庄 1988-5
最新の画像ソフトを駆使すれば露出不足や色の補正、障害物の消去も一瞬で済んでしまう由、またモノクロを総天然色に変えてしまう術も不完全ながら普及しつつあります。
管理人が未だに使っている骨董品級の画像ソフト+オンボロPCも限界で、そろそろ最新機種への世代交代をと画策しているところですが、いやちょっと待て、と立ち止まっています。
写り込んだ人物を一瞬で消し、ドンヨリ曇り空を一瞬で青空にし、眠い画を一瞬でシャープな画に・・・これは一体どこまでが「写真」でどこからが「絵」なんだろうか。自分のやってくるコトは画像編集なのか、イラスト作成なのか。
撮った当時は残念カットに思ってお蔵入りになったカットも、時を経て改めて見ると、その余白の部分にこそ綺麗な編成写真には無いその時代の空気が感じられて味わい深いものがありますね。
返信削除岐阜市内線の電車と一緒に走るクルマもバスも今となっては全て懐かしいものですし(写っているいすゞCJMはおろか、事業者としての岐阜市営バス自体もう無いですし…)、阪堺のワリコー/リッキーの全面広告電車も当時これが来たらきっと残念な気持ちになったと思いますが、今となっては金融関係の広告は業界再編の大波に飲まれる前夜の貴重な記録でもあります。廃枕木の柵、列車別案内札とかも絶滅危惧種かも知れませんね。
それにしても、栗鉄の地平線までまっすぐ伸びるレールも、ビシッと揃って並ぶ細い木柱も清々しい程ですね。タイトルカットの望遠の絵でもきちんと直線が出ているので、それは低規格であっても保守水準は高い証でもありましょう。伸び放題の雑草が走行中ドレンコックに巻き付いて開放してしまいブレーキ事故を起こした某JRには見習って欲しい程です。
雪うさぎさん
返信削除銀塩時代は猛烈なアンダーだったり、KRが「ハズレ」のストックで色調がうーむだったりで、到底プリントできない代物だったコマにも陽が当たるようになったのはまさにデジタルの恩恵ですね。ソフトの力を借りて蘇生してみると、デンシャそのものより背景や意図せず写り込んだモノに眼が行きます。
栗原の沢辺ー津久毛はそれは見事な直線でした。本命格の6×7モノクロの「ついで」に撮ったポジでしたが、今回データにしてみると田園の緑と相俟って眼からウロコの1枚になりました。
こんばんは。
返信削除貴重で素敵なお写真の数々、楽しく拝見させていただきました。
写真そのものののデジタル化は大きな変化だったと思いますが、何をどこまで許すのかは、個人的には永久に答えの出ない問いなのだろうと思っています。
ソフトで簡単に処理でき多用されるようになったことが否定的な意見を強めたと思いますが、例えばトリミングも補正も以前からあったものでした。
どこまで撮ったままに拘るか、どこまで編集を許すか、一枚ごとに考えるしかないかなと思うようになりました。
デジタル化の恩恵も重々感じますので、納得のいくように上手く使いこなしたいとだけ考えています。
と言いながら、私自身は「消しゴムマジック」には本当に驚きました。
写っている物も人も、あんなに簡単に消せてしまう、無かったことにできてしまう…
やはり、答えは出ません。