2016年8月6日

営団6000系を見に行く

メトロ
▲帝都高速度交通営団6000系 我孫子 1974-2

最近その動向が注目され、人気急上昇中のメトロ6000系。

1972年冬頃だったと記憶しますが、同級生から借りた「鉄道ジャーナル」誌を繰っていた手が止まりました。そこには同誌のお家芸、相互乗り入れの特集記事。

内容は代々木公園まで開通間もない営団千代田線と常磐線で、見慣れぬ塗装の103系と共に眼に飛び込んできたのは営団6000系。斬新なデザインは鉄道少年を悩殺するに充分で、どうしても実車を見たくなりました。

という訳で、時は74年早春、買ってもらったばかりの中古ヤシカを手に始発電車で出発、春日部で野田線に乗り換えてまずは柏へ向かいます。柏では早速6000系に会えました。
今や懐かしの103系快速やEF80たちもやって来ます。
▲いずれも柏 1974-2

次は当時の乗入れ終点駅であった我孫子に移動です。成田線で健在の73系を見るのも目的の一つでした。運転士さんが「おっ?」という顔をしています。
▲いずれも我孫子 1974-2

6000系はサイリスタチョッパ制御・回生ブレーキといった当時の技術の粋を集め、その後も最新設備の試験に使用されるなど常に時代の最先端を走ってきた感がありました。
▲我孫子 1974-2

千葉県に来るのはこれが初めて、例によって「あれもこれも」見たくなりまずは取手へ。ここで関東鉄道常総線をスナップします。旧小田急のキハ751とキクハ1のコンビが停車中でした。
▲いずれも取手 1974-2

これだけ撮るとそのまま踵を返し、馬橋へ。狙いは当然こちらです。
まずは旧武蔵野時代からの西武車コンビによる2連、モハ1001+クハ52。クハはこの後更新され見る影もなくなってしまいます。
▲いずれもモハ1001+クハ52 馬橋 1974-2

こちらは一見して京急400系と分かるモハ1101。しかし京急オリジナルは車体だけで、西武所沢工場手持ちの足回りを合体させた上で流山にやってきました。相方は旧青梅鉄道のクハ53です。
▲いずれもモハ1101+クハ53 馬橋 1974-2

続いて松戸へ。まさにあちこちを彷徨しました。合間に入場券を買い漁ったりDJスタンプを押したりと、休む間もなく動き回ります。
▲新京成電鉄モハ129 松戸 1974-2 

こうしてドタバタの1日は終了、最後はなぜか浅草まで足を延ばし東武スカイツリーライン伊勢崎線で帰途につきます。
▲銀座線・浅草 1974-2

メインは営団6000系でしたが、予想以上の副産物に脳内は混沌状態、仕上がったネガを見てやっと整理できた次第でありました。

この日、軸足を置いた柏・我孫子・松戸はその後通過するばかりでご無沙汰が続いています。現在はどう変貌しているでしょうか。
▲常磐線快速・緩行線の離合 柏 1974-2

4 件のコメント:

  1.  1日でかなりの収穫ですね。といってもフィルムだから1本くらいかな。デジカメなら軽く100カットは越えているでしょう。

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  2. モハメイドペーパーさん

    1日中動き回りましたが、丁度36枚撮り1本分でした。
    「1コマいくら」で写していましたので、1両につき1枚が鉄則で失敗したらおしまいでした。
    今だったら角度を微妙に変えたりしながらいくらでも撮ってしまいそうです(200枚はいきそうです)。

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  3. 銀座線は希少な1900先頭編成にて、中間車の吊り掛け音とレールからの油の臭いが甦ってきそうな一こまですね。
    今や01系ですら1/3程度でしょうか。渋谷駅の位置自体はまだ現状ですが、そう遠く無い将来には移ってしまうのでしょう。

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  4. 12号線さん

    銀座線、この時はほんの「ひと覗き」だけでしたが、その後井の頭線沿線に住むようになってから帰省のたびに渋谷~浅草間を利用するようになりました。メトロの中では最も乗った路線です。
    吊り掛け音や蒸せるようなオイルの匂い、ポイントで消える車内灯も懐かしいですね。
    01系がなくなる時代になったとはちょっと信じられないです。

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