2017年2月7日

日立電鉄 真夏の点描

▲日立電鉄モハ1301 大橋-川中子 1987-8

時は1987年夏、急に思い立って出掛けた日立電鉄。
この頃の在来車は塗色がオレンジ+クリームに変わり、諸処不細工な改造を受けていました。モハ51、2210といった強者らは引退久しいものの、まだまだ旧型車の天下です。

大甕に休む旧宇部鉄道のモハ1301。
編成を組んでいた宇部の仲間、クハ5301が85年に廃車されると同時に両運車に改造されました。こちらも窓・前照灯とも無粋ですが唯一の宇部の生き残り、贅沢は言えません。
戦中製、生抜きのモハ9形も原型を留めていませんが2両とも健在。ヘッドライトが外されて休車中の旧小田急モハ1008もいました。
▲いずれも大甕 1987-8 

まずは田園が広がる川中子で下車。先ほどのモハ1301が運用に入りました。
▲川中子-常陸岡田 1987-8

川中子から歩くことしばし、緑のパレットを走るような光景に出会いました。
畦道から少し上った木陰からモハ14を捕えます。
▲モハ14 川中子-常陸岡田 1987-8

こちらは有名な撮影ポイント、コンクリート陸橋を渡るモハ14。
▲大橋-川中子 1987-8

田圃を抜ける風が心地良く、あまり暑かったという記憶はありません。
同じ電車が行ったり来たりに飽きはじめ、大橋から鮎川方面へ向かいます。
▲モハ1301 大橋 1987-8

当線の車庫は久慈浜ですが、手狭な割に車両数は多いため電車たちは大甕、常北太田や鮎川にも分散配置されていました。
▲いずれも鮎川 1987-8

唯一のトンネルを抜けるモハ14。短いながら涼風が吹き抜けて行きました。
▲久慈浜-南高野 1987-8

6 件のコメント:

  1. 遠く離れた日立電鉄は訪れた機会はないのですが、いろいろとユニークな車両があったのですね。
    中でも旧小田急1008は中央に両開きのドアなど田舎電車に見たこともない面白い電車ですね。
    緑の絨毯の中を走るモハ14をはじめ本当に写真が美しいです。(^^)/

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  2. 夢鉄道さん

    いつもありがとうございます。
    当時は旧南武や弘南の個性的な電車がなくなって「随分つまらなくなったなあ」と思ったものですが、今考えると贅沢なことを言っていました(笑)。

    旧小田急のモハ1000形も入線時期によって形態がさまざまでしたが、最後に相鉄からやって来た車はドアが荷電時代のままで初めて見たときはびっくりしてしまいました。

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  3. モハ1301の走っている写真初めて見ました。
    独特の窓配置と、国鉄形ベンチレーター、角ばった車体に味わいがありますね。
    ワタクシも旧型電車現役時代一回だけ行った事がありましたが、年末だったうえ、お目当ての電車にも乗れずに悔しい思いをしました。つまらない電車に置き換わったうえに廃線になって、今から思えばもっと行けば良かった思う路線のうちの一つです。

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  4. 宵闇さん

    モハ1301はツーマン時代は動く機会はあまりなかったですね。
    85年のワンマン改造後はモハ13形検査時に出動したようですが、6年後には廃車されてしまうのでたまたま運が良かったのかも知れません。

    私もこの時はさらっと訪問しただけで、営団2000・3000に置き換わった後は興味が失せてしまい行かずじかいだったのは悔やまれます。

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  5. 勘定奉行の一番弟子2017年2月8日 20:33

    鮮やかな色ですね。エクタクロームですか?
    今考えると、1987年の夏に日立に行ってもよかったなぁと思います。

    私事ですが1987年に人事異動で常磐線沿線に勤務地が変わりました。ということで、休みの日まで常磐線に乗るものか?!??! という感じで日立まで足を延ばす気がしませんでした。
    あのときに常磐線を毛嫌いせずに出かければよかったと反省しています。

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  6. 勘定奉行の一番弟子こと柏ジモッティことmaru-haどの

    この頃のカラーはKRオンリーでした。
    87年当時の常磐線は私鉄も国鉄も面白かった時代で、被写体も沢山ありましたね。
    筑波・鹿島・茨交・そしてEF80などなど・・・自分ももっとこの時期に行っていればよかった!

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