▲秩父鉄道デキ103 熊谷 1974-10
鉄道少年時代の「庭」は東武線佐野市・館林駅や両毛線でしたが、その延長のような存在が高崎と熊谷でした。行き交う特急列車や電機、そして私鉄電車も眺めることができたので、少し足を延ばそうと思い付くと必ず向かう場所でした。
熊谷へは館林から羽生経由が定番コースです。
羽生にはいつも貨物が停まっていました。この駅も橋上駅舎化で様相が随分変わっています。
こちらはヘッドサインが一回り大きいデハ301。
電機たちも生抜きのWHやEEを始め、バラエティに富んだ顔触れでした。
WHデキ5のキャブ。
▲いずれも熊谷 1974-10
旧阪和のED38もまだまだ現役です。
▲いずれも熊谷 1974-10
ワムやワラより一回り小さいワフ32。
▲熊谷 1974-10
この春に見かけた、更新されずに放置されていた初代クハニ29の姿は、もう消えていました。
新幹線の高架がこの真上に屹立するのはまだ遠い先のことでした。
1974年 熊谷にて その1 →→ こちら
▲熊谷 1974-10
お久しぶりです。
返信削除茶色時代のED38はナンバープレートの地色が緑なのがちょっと洒落ていますね。プレートだけでなく、秩父の社章の地色も緑なのが良く分かる写真ですね。死蔵しているED383のキットを組む時には気を付けなくては。
元々貨車好きなので、つい貨車の方に目が向いてしまいます。ワフ32は確かED38同様、阪和社型の残党だったと思いました。津軽大沢や七百に転がっているダルマさんの仲間です。ついでにデキ2の手前にいる有蓋車が、何か帯を消したような痕跡があるのが気になります。ヨンサントオで直通区間が限定された65km/h制限の黄帯車(東武や旭川電軌にも同様の限定直通承認車がありました)だったのを、直通承認抹消後帯を消して社線内限定にしたのかな?
雪うさぎさん
返信削除こんにちは。
ED38はいつも目にしていたせいか、走行シーンを始め腰を入れて撮っていないのが悔やまれるところです。3号機は前面窓が大きく洗練されたスタイルで、とても戦前製とは思えません。側面アップは何気なく撮っておいたものですが、お役に立てて嬉しいです。
当時の熊谷には休車体も含めてこれでもかと言わんばかりに貨車がひしめいていました。にも拘わらず、秩父名物のテキを始め、ほとんど撮っていないのは何度悔やんだか分からないくらいです。
ワフ32、阪和の残党だったとは知りませんでした。これもホームから余ったコマで撮ったものです。
デキ2の隣の黄帯車?も出自が怪し気で、今見ると気になります。この車ではありませんが、黄帯に「救援車」と表記された同類と思しきワムもいたと記憶しています。