2019年8月4日

赤電と洋館駅舎 その2

▲近江鉄道 高宮 2000-8

近江鉄道モハ1形は1950年代流行の湘南顔に西武カラーを採用。
手持ちの中古部品に鈍重な新造車体の組合せと、軽快さはありませんが「近江形」として長く君臨しました。

さて、高宮で一休みの後は再び赤電を狙います。
・・・とそこへ当駅の主らしき駅ネコがゆっくりと近付いて来ました。
ひどくマイペースな彼、こちらを一瞥しただけで気に留める風もなく、そのままベンチ下で昼寝に突入してしまいました。
▲ここが定位置なのでしょう いずれも高宮 2000-8

構内外れでは工事用のED313も昼寝中。
装甲車のようなED31は1923年・伊那電出自の由緒ある機関車で、6両のうち5両が近江に集結し、入換えに小運転にと重宝されていました。最近まで全車が彦根で保管されていましたが、残念な終末を迎えたのは周知のとおりです。
▲いずれも高宮 2000-8

締めはどこで狙おうかと思いましたが、炎暑にめげず犬上川橋梁まで歩くことにしました。先ずは米原行の尻を追い駆けます。
▲いずれも高宮-尼子 2000-8
 
続いてやって来たのはモハ800形。
前身・西武401系の面影が失われてしまったこのデザイン、何度見ても引いてしまいます。
無難なアングルながら、本命の八幡行・モハ2をアップで狙います。
モーターを唸らせながら、疾走と言うにふさわしい物凄いスピードでやって来ました。1/1000でどうにか捕えて打ち止めとします。
▲いずれも高宮-尼子 2000-8
 
モハ2はこの直後に休車、そのまま彦根で終焉を迎えました。
車体は鋼製でもモーターや下回りは昭和初期ですから良く持ったものだと思いますが、越後交通や静鉄と並んで何でも自分で造ってしまう旺盛な工作力が古典デンシャを延命させたのでしょう。
▲新八日市 2000-8

2 件のコメント:

  1. イコライザー台車から西武由来のFS-40に履き替えていますが、エアサスへのエアー供給でコンプレッサー増強など行ったのでしょうか。

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  2. 12号線さん

    鈍重な印象だったモハ1形一派も、空気バネ台車を履いた途端に近代的な感じがするのはそれだけDT10系が古いデンシャの象徴であるからでしょうね。コンプレッサー増強については分かりませんが、何でも自分で造ってしまう近江のことですからお手の物だったのではないでしょうか。

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