2021年12月21日

1981年北陸行 その4

▲加悦鉄道キハ08 加悦 1981-8
 
「加悦SLの広場」は1970年代のSLブームに肖って企図したものの、オープンに漕ぎつけたのはブームも去った77年。
紆余曲折はあったものの、85年に鉄道線が廃止になった後も展示メンバーを増やしつつ、NPO法人「加悦鉄道保存会」の助力も得たりしながら、保存活動は連綿と続きました。

展示車には南海1201形や京都N電もいたりとちょっと脈絡がない感じもしますが、一事業者がこれだけの顔触れを揃え、日々露天でのメンテナンスを続けるのは容易ではなかったでしょう。


▲加悦 1981-8

しかし、2020年3月をもってついに閉園。
展示車の一部が安住の地を得た一方で、未だ引取り手が見つからないメンバーも多く、行く末が気懸かりです。もう少し公的支援があれば良いものを、いつもながら産業遺産の保存に対するこの国の姿勢にはガッカリするほかありません。
▲小鉄道にしては秀逸なデザイン。この道に長けた担当者がいたのかも

さて、残りの車両達を駆け足で回ります。
こちらは通称「森ブタ」のDB20で、唯一の森製作所製現存機。同社は蒸機からDLを造り出すのが得意技でしたが、これは完全な新車でした。
丹後山田の近く、日本冶金専用線でニッケル鉱輸送に活躍した旧南部のDC351と、その後継者のDD35。この頃はまだ若干の運用があった筈ですが、夏休みのせいか2両とも動く気配がありません。

▲いずれも加悦 1981-8

最後は蒸機です。
保存車の「看板」である2号機関車は1873年英スチブンソンの手になる名機で、もちろん元官鉄。引退後にドームの「なんちゃって真鍮製」を始め、各所が明治期のイメージに復元されています。

巨大エアタンクが物々しい4号。
河東鉄道(→長野電鉄)が開業に際し新造した機関車で、上のDC35がやって来るまではニッケル輸送の主力でした。この後デビュー当時の姿に復元されています。


国鉄木次線からやって来た、旧簸上鉄道の1261号。
こちらもDC35登場と共に引退しています。




元東急3100形のサハ3104。
1969年にお輿入れするも客車として活躍したのはほんの短期間で、ほどなくこの姿に化けます。更に廃線後には似ても似つかぬ姿に改装され、「カフェトレイン蒸気屋」とになりました。












▲いずれも加悦 1981-8

本日の客扱い当番、キハ1018がやって来ました。
南部縦貫鉄道キハ104と共に、数少ない国鉄キハ10の残党です。



▲いずれも加悦 1981-8

さてここから延々4時間、来た道を引き返して敦賀まで戻ることにします。
帰路の小浜線の車中、晩飯前に福井で京福電車を一覗きするか・・・などと考えていると、何やら同業者がやたら多い様子、イベントでもあるのでしょうか。

すると、そのうちの一人がこちらの匂いを感じたのか「どちらで撮るんですか」と話しかけてきました。聞いてみると近くでC56の臨時が走る由、折角だからと彼らの尻について行くことにしました。

ピカピカの蒸機が12系を牽く図には余り食指は動きませんが、同業者と横一列に並んで構えます。

▲いずれも藤井-十村 1981-8

薄暗くなった頃に敦賀着、長い夏の一日が終わりました。
この日は鉄研メンバーと福井で待ち合わせ、駅前の安ホテルに投宿。翌日は京福電鉄へ向かう予定です。

・・・いつ終わるか分からなくなってきました。しつこく続きます。
▲西舞鶴 1981-8

2 件のコメント:

  1. 2号機関車を1号機関車に仕立てての走行シーンが以下にあります。
    ハ4995号も加鉄線を走行したのでしょうね。
    https://www.youtube.com/watch?v=zLTJ5Drvxa4

    返信削除
  2. 2号線さん

    1号機関車とはメーカーが違いますが、これは良くできていますね。
    薄茶色のハ4995やハブ3も何の違和感なく溶け込んでいますが、3両目が何なのか分からず気になりました。せっかくの歴史的車両ですから、もう少し公的支援があれば再び休車にならず今なお動態保存できたかも、と思ってしまいます。

    返信削除

コメントはフリーでお受けしています。ただし管理人判断で削除することもありますのでご了承下さい。