2022年5月6日

「デワ」のスナップに寄せて



 ▲松本電鉄モハ10形 1963年

1960年代前半までの松本電鉄には、生抜きの古強者を始め信濃や西武、京王OBといった多彩な木造車が闊歩していました。

しかし時あたかも日車標準車体が誕生、格好の標的となった彼らは、あっという間にこれに載せ替えられて画一化が完了してしまいます。加えて1973年に貨物列車が廃止されWHのED30も昼寝の日々に、これでは鉄道好きの食指も動きません。

▲アルピコ交通の現在も硬券は健在

▲電車の画一化と浅間線廃止は同じ頃だった

・・・という訳で、今回は手元の古い記録からこちらをお送りしてみます。

ED40形はまだ誕生しておらず、当時唯一の事業用車だったデワ2。
古いワムかワフを適当に改造したような印象ですが、元は1918年天野工場製・伊那電デワ5という由緒正しい車でした。先輩格のデワ1は、ワフ化改造を経て早くも1955年に廃車されています。



▲いずれも新村 1963年

初めて自分で乗ったのは1976年の夏休み。
夜行急行「妙高5号」で上野を発ったのを皮切りに、長野→松本→名古屋→東京と「大回り一筆書き」の道すがらのことでした。この時は新村で保管されている旧甲武の「ハニフ1」を見るのが主目的でしたが、専用の車庫で鎮座しているのを瞥見できただけでした。


▲いずれも新村 1976-7

2回目の訪問は1985年春、日車標準車体にも引退の噂が流れてくるようになった頃。
休日だったせいか車庫には誰もおらず、ハニフとの再会は叶いませんでした。




▲いずれも新村 1985-4




▲いずれも新村-三溝 1985-4

ところで冒頭のフィルムには続きが写っており、こちらもお目にかけます。
1955年、当時の松本市長から邪魔者扱いされてからも、しばらく持ち堪えて余喘を保った浅間線ですが、襲来する車社会に抗し切ることは出来ませんでした。廃線は64年、ちょうど上高地線の電車たちの車体載せ替えが終了するのと同時期でした。



▲いずれも横田 1963年

日車標準車体から東急青ガエル、次いで井の頭線3000系。
しかもうーむな装束に改造され趣味的には余りそそられない電車の変遷が続き、この3月からは東武20000系が20100形として再就職しています。

しかしあの変貌ぶりを見ると、果たして訪問する日は来るかどうか・・・「アルピコ」社紋の入った切符の蒐集だけでは物足りなく、ちょっと決断できない昨今です。


▲新村 1985-4

4 件のコメント:

  1. 浅間線の写真は貴重ですね。私は1964年3月、松本駅前でちらっと見ただけです。夜で写真は撮れなかったけど、なんとも形容し難い塗色だったのは覚えています。

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  2. 甲武電車出身のハニフ1は舶来風のスタイルで、保管の為に専用車庫まで作ってもらったのに対して、伊那電出身のデワ2は簡素な田舎電車風のスタイルで屋外の備品扱い。同じ古典木造車でもずいぶん扱いに差がありましたが、鉄道開通時の記念物として、伊那市や松島町で里帰り保存する価値はあったようにも。日車標準車体は特徴が無いのが特徴と言われていましたが、ペーパークラフトのようなのっぺりとしたスタイルは、昨今の電車に通じるものがありますね。

    事前調査なしに浅間温泉周辺を歩いてみても、どこに浅間線があったのかもうよく分からない状況ですが、上高地線新村駅は写真の頃の雰囲気が、まだ比較的残っていますね。

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  3. 匿名さん

    浅間線のカラーは一度だけ、ヒギンズさんの本で見たことがありますが、なるほどこのビミョーな青の濃淡はちょっと表現できないです。車体も強烈な個性で、他ではお眼にかかれないスタイルでしたね。バリアフリーと対極にある高低差、お客も乗降するのに一苦労だったでしょう。

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  4. 緑の猫さん

    伊那電OBは全国にいたにも拘らず保存されている例は本当にないですね。このデワも希少種なのに血筋がピカ一のハニフに比べると完全に継子扱いの感があります。

    日車車体は岳南や新潟など各地にいたせいか、現役時代の訪問はアップした2回だけ、しかも長電訪問や観光の「ついで」といった体たらくでした。沿線風景が良いだけに、ちょっと後悔しています。

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