▲野上電鉄モハ31 登山口 1992-8
「フィルム本数の稼ぎ頭路線」第1位は、中小を押しのけて名鉄揖斐・谷汲線がダントツで、2位は野上電車。双方とも昭和初期の電車が最後まで現役だったことが最大の原動力ですが、無粋な改造を受けた名鉄と比べて野上はほぼ原型のまま、という点は大きな違いでした。
沿線風景は住宅地と田畑が混在する平凡さながら、変らぬ姿の阪神・阪急OBに加えて白熱灯だらけの駅風景がこれに花を添えていました。
1992年夏のこと、この日も早朝の日方からスタートです。
▲連絡口 1992-8
来る度に陣取るのは北山から野上中辺り。
沿線では最も開けた区間で、四季の変化が感じ取れる数少ないポイントです。
お気に入りの2両、うちモハ24は「チョコボール電車」に化け、最古参のモハ23も既に休車になってしまい魅力は半減。ただ朝晩の「阪神の明かり窓」ことモハ31コンビや、日中の単行に入ることが多くなったモハ25・27といったメンバーはまだまだ元気でした。
▲野上中-北山 1992-8
▲北山 1992-8
早朝から沿線を徘徊しているうちに、重根で夕暮れを迎えました。
ここから朝方の2連が再出動、終電まで運用に就きます。
▲いずれも重根 1992-8
辺りに夕闇が迫る頃、改めて全線を往復することにしました。
紀伊野上を過ぎる頃からすっかり暗くなり、数えるほどの乗客も途中でみんな降りてしまいました。登山口から折り返し列車に乗り込んでくる客もなく、モハ31+32が寂しそうに発車を待ちます。
▲登山口 1992-8
発車時刻が迫っても、誰も乗って来ませんでした。
駅前のバスはとっくに終わってしまったでしょうし、メイン通りに開いている商店も酒場もなく、あとは遠く民家の灯がポツリポツリと見えるだけでした。
▲いずれも登山口 1992-8
一人、モハ31に乗って北山で下車。
ホーム脇の電柱に、裸電球がポツンと点いていました。
▲いずれも北山 1992-8
北山から次列車のモハ24に乗って帰ることにします。
無人電車だったのが、途中から一人二人と乗ってきた時は少しほっとしました。
▲いずれも重根 1992-8
日方で上り最終電車を待ち構えて終了。
僅かな乗客が駅舎から出るや、いきなり構内の電気が全部消されたのには仰天してしまいました。
▲いずれも日方 1992-8
杜撰な経営体質と廃線間際の騒擾ばかりが話題になり、その度に暗然とした気分になりがちな野上電車。しかし、この頃はまだ至って長閑で、平和なローカル線の印象しかありませんでした。
▲紀伊野上 1992-8
パイプ状の管球(よく考えると変な用語ですが)というヤツは関東の車両では見たことがありません。阪神のほかには嵐電でも使用していました。鉄道雑誌なんかでも「短い蛍光灯がついている」と書かれていることが多いですね。
返信削除モハメイドペーパーさん
返信削除初めてこれを見たのは確か叡電でしたが、私も最初は電球色の蛍光灯かと思っていました。ここは電車も駅施設も白熱電球だらけだったので夜景は本当に絵になりましたが、不思議と同業者に会ったことがありません。デジカメで気軽に撮れる今でしたら、どっと押し寄せて怒号が飛び交うかもですね(笑)。